ロマンティックなキラー・チューンで私のハートを射止めて離さない曲
ニッキー・ホーランドの1stアルバムより「Ladykiller」を丁寧に紹介していきますね。
Ladykillerの産みの親は誰だ?!
Ladykillerのクレジット
1992年1stアルバム『Nicky Holland』より。
ニッキー・ホーランドNicky Hollandとロイド・コールLloyd Coldとの共作
プロデュース デレク・ナカモト&ニッキー・ホーランド
ボーカル ニッキー
コーラス ロイド
ロイド・コール・アンド・ザ・コモーションズって?!
一曲ずつクレジットを確認するまでは、アルバム名義のアーティストがすべて作曲したと思いこんでいるって事ありませんか? 正にこの曲がそうで別のアーティストとの共作でした。それがわかるまではニッキーのことをべた褒めするつもりだったのですが、ややこしくなりましたよ。アルバムの11曲中に5人の共作者があり私の知らない人ばかり、2ndアルバムを含めると10人にもなり、その方々の音楽性を確認しながら、ニッキー本来の音楽性を見当づけていかなければならないからです。手持ちの1stアルバムは輸入盤で詳細がわかりませんが、2ndアルバムは日本版なのでわかったのですが、ニッキーの制作方法は、共作の場合、詞も曲も共作者と一緒に作るそうなのです。どちらかが作詞でどちらかが作曲なら、はっきりしたのですが…。これからの作業、もう作業に近い心境で、2枚のアルバムを何回も聴いて、共作者の他の曲を聴いて、ニッキーが他のアーティストに提供した曲を聴いて… 気の遠くなる作業です。旬な時期に随時やっていれば決して作業ではなく、楽しい音楽鑑賞だったのでしょうけどね。少し、やっつけでやったので判断ミスもあるかもしれませんが、堂々と進めて参りたいと思いまーす。
考えてみたら、分業ではないということは凄いですね。相手に手のヒラを見せながら、臨機応変に協働で創っていく、時間や場所の拘束もあるし自分のペースで進めないってことですよね。想像以上のものが生まれる可能性もあるけど、よっぽど相性が良くないとできませんよね。ベテランの方々だから、選別やそこらへんのさじ加減がうまいんでしょうね。
ちなみに、Ladykillerの共作者は、ロイド・コールという人で、ロイド・コール・アンド・ザ・コモーションズLloyd Cole And The Commotions というグループのリーダーです。
ヒロシマ
ところで、日系アメリカ人のバンドで「ヒロシマ」というグループを知ってますか?実は、プロデューサーのデレク・ナカモト氏はこのグループの出身なんです。脱退後は、アレンジャー、プロデューサー、コンポーザー業に転身して、マイケル・ジャクソン、ホイットニー・ヒューストン、マイケル・ボルトン、ケニー・ロギンス等々の数多くのアーティスト作品を手掛けています。この「ヒロシマ」は、琴などの和楽器を取入れたオリエンタルなフュージョンで名曲が沢山ありますので、また随時紹介したいと思います。
1stアルバムのプロデューサーを共同で行う相手として選任した理由は、とても似通った音楽素養の持主だったということらしいです。
ニッキーの歩み
ラヴッシング・ビューティーズ
イギリスのハートフォードシャーで裕福な家庭に生まれ、ロイヤル・アカデミーに入学しピアノと作曲を学んだ。在学中の1981年に、クラスメイトのヴァージニア・アストレイVirginia Astleyとケイト・セント・ジョンKate St Johnの3人で、ラヴッシング・ビューティーズThe Ravishing Beautiesという室内楽的な上品な音楽を奏でるグループを結成した。俗に言う、仲の良い友達でガールズバンドを組んだといことだ。
ヴァージニアがフルート、ケイトがオーボエやイングリッシュホルン、ニッキーがシンセサイザーを担当していた。その頃の音源は、YouTubeで確認することができたのだが、今や3人ともプロのミュージシャンとなり名声を手に入れているだけあって、ただのガールズバンドではなかったようです。その後、ヴァージニアは、牧歌的で上品な音楽を継承しソロ名義で4枚のアルバムを残しているのだが、まるで妖精のような声の持主である。ケイトは、モデルという別の一面も持ちながらニック・レアード=クルーズNick Laird-Clowes率いる「ドリーム・アカデミーThe Dream Academy」に所属している。イングリッシュホルンの他、ヴァイオリン、ピアノ、サックス等もこなす才女である。
そして、ニッキーのその後は、ファン・ボーイ・スリーFun Boy Threeのアルバムやツアーでキーボードとミュージカル・ディレクターを担当。以降、スタジオミュージシャンとして多くのブリティッシュ・ニューウェーヴ系アーティストの作品に参加した。
ティアーズ・フォー・フィアーズとの出会い
上記、ファン・ボーイ・スリーのツアーで泊まっていたホテルに、たまたまティアーズ・フォー・フィアーズTears for Fearsのローランド・オーザバルRoland Orzabalが居合わせ、元々ラヴッシング・ビューティーズのファンだった彼の方から声をかけたことがきっかけで、ニッキーは、1983年から4年間TFF(他メンバーカート・スミスCurt Smith)のツアーやアルバムに参加することとなった。TFFは、「Shout」「Everybody Wants To Rule The World」「Sowing The Seed Of Love」等のヒット曲を発信したグループです。一級品のメロディーを操るグルーブなので是非チェックを。
そんな折、ニッキーとローランドがTFFのアルバムに収録する曲を共作していたのだが、急遽他のアーティストに提供することとなった。それが、今やアメリカのソウル・ジャズ・ゴスペルシンガーオリータ・アダムスOleta Adamsの出世作アルバム『サークル・オブ・ワンCircle of One』の「リズム・オブ・ライフRhythm of Life」である。聴くごとに味わいの出てくる曲です。(YouTubeで確認する際は、サミー・デイヴス・ジュニアでも混声合唱でもありませんのでご注意を)
坂本龍一やシンディ・ローパーとの出会い
その頃、たまたま同じアパートを借りていた坂本龍一氏と出会い、ラヴッシング・ビユーティーズのツアーに参加したらしい。坂本氏は本当に世界で活躍されていたのですね。
また、シンディ・ローパーCyndi Lauperと同じビルに住んでいた時は、シンディが「ラップのビートみたいな感じでやってみて!」という注文で歌詞を持って来、出来上がった曲がバラードの「ハット・フル・オブ・スターズHat Full Of Stars」で、ニッキーの2ndアルバムに作家版として収録されている。
その後、作曲家のデヴィッド・バトウDavid Batteauと結婚し、2児の母となりニューヨークで生活している。ニッキーのソロアルバムで夫婦共作のものもある。
ニッキーってどんな人?
負けず嫌いな女性?
1stアルバム発表から5年の月日を経た1997年に2ndアルバム『SENCE AND SENSUALITY』を発表するのだが、先述したように作品制作に関しての記述がある。ニッキーの一面を想像する面白い内容だ。文面をそのまま抜粋します。
この2作目が届くまでには5年もの年月がかかってしまった。どうしてこんなに待たされたのか、ニューヨークのマンハッタンに住むニッキーに電話をかけて、このアルバムについてあれこれ訊いてみた。「この5年間はずっと曲を書いていた。私の生活の一部なのね。今度のアルバムのための曲を書き留めていたし、他のアーティストのためにも書き続けていた。それが、私がやっていた創作活動ね。もうひとつの創作活動では、子供を2人生んだの。娘と息子よ。私の人生における重要なステップになった。そのおかげで創作における作業の進行が時に遅くなったり、速くなったりしたんだろうけど、2人の面倒をみなくちゃいけなかったのよ。」
引用元: Nicky Holland 2ndアルバム『SENCE AND SENSUALITY』
五十嵐正氏による日本版ライナーノーツ
ニッキーが不在だった5年間に、ロック/ポップス界に個性的な女性アーティストが登場し商業的に大成功を収めている人が多い。ニッキーもその中の一人なると思われたが、ニッキー自身思うところがあるようだった。続きをまた引用します。
「娘を生んだ頃(93年)から、女性によるギター音楽がたくさん現れてきたわ。彼女たちは皮肉ぽく、冷笑的で、女性の力強さについてほとんど男に近い言葉で語り、男たちが長年言ってきたことを自分たちのものにして、何も恐れずに語ろうとする女性たちね。でも、同じ時期に私はその対極の母親であることを体験してきた。彼女たちのやっていることは私の生活に何ら関係がないと感じていたの。だから、自分がまた新たなレコードをつくる時に、何を歌うのが適切だろうか、何が私の主張になるのだろうかと考えてしまったわ。それで、私はなんとこの気持ちを伝えなくちゃいけないと思った。私と同じ経験をしている人たちが必ずいるはずだから。それはポップ音楽、ロック音楽の持つ異なった側面だと思う。」
引用元:同上
感情をあらわにした、鋭い意見だと思いませんか?ニッキーが発した言葉かどうかはわかりませんが、この頃の人気女性アーティスト名をライナーにあげていました。カナダのシンガーソングライター、女優、音楽プロデューサーのアラニス・モリセットAlanis Morissetteやアメリカのシンガーソングライター、女優のシェリル・クロウSheryl Crowです。一瞬、ジェラシーで煮えたぎった感情が剥き出しになっているように受け取ったのですが、これは底辺で右往左往している私、凡人の恥ずかしい感覚です。よくよく考えれば、音楽を職業にしているニッキーが親となり何周りも大きくなっているので、こんな浅はかな考えを持っているはずがありませんね。でもいい意味でプライドをくすぐられた感はあるのではないでしょうか。
実際にどのようなサウンドにしていったかと言うと、先ず前作は、バンド伴奏によるシンガーソングライター的なアルバムだったのに対し、今作は…また引用します。
「このアルバムは、ナチュラルな音とエレクトロニクス・サウンドの組合せであり、人間が演奏した楽器と打ち込みの楽器の組合せなの。オーケストラなどのナチュラルなテクスチャーを伴奏に機械を操ったりと、対照的なものを用いている。それと、ギターを使いたくなかったの。ロック音楽にギターがたくさん溢れているので、ああいったサウンドは使いたくなかったの。ギターを使わずに、ダイナミクスとドラマを作れるかを試したかったの。そこから離れたかった。それなのに、いつもギターばかりのプロデューサーと組んでいるんだから、よっぽど頭がおかしかったんじゃないかしら(笑)。でも、彼もそのことを挑戦的だと考えたし、私もそう考えた。それがまた違った結果に導いたのね。」
引用元:同上
そのプロデューサーというのが、サウンドガーデンSoundgarden、オジー・オズボーンOzzy Osbourne、ソウル・アサイラムSoul Asylumといったアーティストたちの大ヒットアルバムを手掛けてきたマイケル・バインホーンMichael Beinhornで、決して女性シンガーソングライター向きではない。続きをまた引用。
「バインホーンと会った時は、音楽の見方が私ととても異なっていると思った。彼はとても頭の良い、興味深い人で、私と全く異なった前歴を持っていた。でも、私は彼がハービー・ハンコックとやった作品を知っていたから、旧式のシンセサイザーに関する莫大な知識があることを知っていたし、彼が作った私とまったく異なった作品からも、レコードの作り方、曲の活かし方を知っている人だとわかっていた。それが私の彼への興味だったの。そして、彼が私の曲に好意的な反応を示してくれて、とても変わったレコードを作りたがった。私がギターを使わないレコードを作ると言った時、その挑戦的姿勢を受け入れてくれたの。」「それにまた、最初に会った時に彼は私がとても面白いと思ったことを言ったの。”君が絶対に作りたくないのはアニー・レノックスのようなレコードだろう。君が比較されるかもしれない唯一の人だろうからね。彼女みたいに聞こえるサウンドにはすべきじゃないと思う”。とても面白いコメントだと思ったわ。アニー・レノックスAnnie Lennoxのレコードは大好きなんだけど。とにかく大胆の物言いよね。その結果、私たちはもっとローファイ(Lo-Fi…Hi-Fiの対義語)なレコードを作った。彼はしっかりとしたコンセプトを持って考えている人。だから、音楽性の決断と言うより、人間性で選んだ決断なの。」
引用元:同上
1stアルバムの曲を紹介する記事ですが、2ndアルバム作成秘話からニッキーの人柄を覗けた気がします。
ギターレス云々の件は、職業作家としてのプライドがほとんどだとは思うのですが、密かに、英才教育の整った環境で育ったお嬢様が、順風満帆に音楽の世界に入り成功をとげている、そういう意味でのプライドが揺さぶられたいう説を唱えているのですが、やっぱりおかしいですか?
どちらにせよ、そういう人間味のある感情を持ち、対応していくニッキーこそ男前ではないでしょうか。
言われてみれば、2ndはギターレスだったかもしれないが、そうかと言って1stがガンガンにギターが主張していたわけではないので、特にその印象はなかったです。でも、このアルバムに込められた思いを知って聴くと、重みというか深みを感じました。そして1stと比べたら重厚感が増していいると思いました。
2ndアルバムに満足しているニッキーはこう言われたそうです。
「私は他の誰もがしていない自分自身の主張を込めようと努力し、何とかそれを成し遂げたと思う」
人懐っこい人?
ソロ活動もあるが、基本他のアーティストへの曲提供やサポートが基盤になっていたと思われる。自分の嗜好する音楽だけをやるわけにはいかない、相手の求めていものを商品化していかなれりばならないので難しい側面もあると思う。芸術面の需要に対応するとなると、それを推し量るために既成の作品を通しながらコミュニケーションをとっていく必要があると思う。勿論言葉というツールも使いますが、表情やその人なりも観察したりしながら。こだわりが強いアーティストだと益々デリケートな問題になってしまいますね。感じている事とそれを表現する共通の言葉が異なる場合があるからだ。人それぞれ感覚にズレがあるからだ。時には、相手の生活歴なんかから紐解いていくこともあると思う。そう考えると、コミュニケーションは必要不可欠なのかもしれないですね。
実際のところは、人懐っこい人がどうかわかりませんが、仕事として、より良い作品を作るために”共作”は詞も曲も一緒に作る、という方法をとっていたのでしょう。真面目な人ですね。
Ladykillerの感想
新しい曲?古い曲?
Ladykillerは、リリース後20年近く経って出会った曲です。遅いけど笑わないでくださいね。第一印象は、とても懐かしくてロマンティックでいい曲、でした。懐かしいという表現は少し違うのですが、実は、70年代~80年代の頃の曲に思えたのです。音作りか何かが、たまたま私にしかない懐古的な感覚と重なるものがあったのでしょうか?何にも動じないどっしりしたポピュラーソングに聴こえたんです。1992年制とわかり驚きました。初めて聴く人はどのように感じるのか教えてもらいたいですね。
曲中でも男女が…
冒頭で、ニッキーの音楽性を見当づけてLadykillerにどれぐらい貢献しているか計っていかなければならない、なんて凄い発言をしてしまいましたが… 断定できるほどはわかりませんでした… しかし、特徴としては、マイナーだけど温かみがある曲、渋いムード、特にアコースティック楽器の入れ方が上手い、等です。この記事から言えることは、ある意味ストイックな作品作りをするニッキーなので、デレク・ナカモト氏とプロデュースを共にしながらも、最終的には自分の思うように完成させたのだと思うので、限りなく100%近くニッキーの息がかかった曲だと思う。
いよいよLadykillerの紹介ですが、シングルの曲ということもありますが、アルバムの中でもかなり浮いている印象です。共作者のロイド・コールが他の共作者に比べてロック色の強いアーティストだと思ったので、シングルカット向きというのも必然的なことなのかもしれないですね。ちなみに、2ndアルバムのシングル曲も彼と共作です。
曲名の通り、誰もが恋に落ちてしまうカッコイイ男性と今夜落ちてしまった女性を歌った曲。ジャジーなリズム(スウィング・ジャズ風?)とロック/ポップスが加わった感じで、起承転結がありドラマティックな曲。ブラスセクションやピアノの入り方に卒がなく、ジャジーさを際立てている。エンディングのスウィングに乗った渋いベースラインがカッコイイです。そんな、バックを聴いているだけでも雰囲気があり気持ちがいい中に、主役のボーカルが乗ってきます。起伏の少ない落ち着いた感じのAメロから、サビのメロディーへ突入し盛上りながらも、時々ファルセットで聴かせる大人っぽさを含み、何とも言えないムードが漂います。ニッキーの声ですが、そんなムードに打って付けの声なんですよ。低めの太くて柔らかい声です。そして、共作者のロイド・コールが男性ボーカルをとっています。二人の声が交わる感じがいいですね。
※この曲は、アコースティックにアレンジしてコピーしましたが、なかなかこんな雰囲気はだせないですね。
Prelude~Ladykiller
Ladykillerは、アルバムでは2曲目です。動画を作成する際、メドレーになっている1曲目の「Prelude」を入れるかどうか随分悩んだのですが、ピアノ中心の静かな曲なので、YouTubeだけで見てもらう時は、Ladykillerまで聴いてもらえないかもしれないと思って「Prelude」を入れませんでした。しかし、よくよく考えると、こちらのブログから聴かれる人は少なからず音楽通の人だろうから、記事を読み終えた後、楽しみにくつろいで聴いてもらえるのかもしれないと思い直し、2パターン作成しました。なので、こちらは「Prelude」から入るバージョンです。1分50秒追加ですが、この方がしっくりくるので是非こちらのバージョンで聴いてみてください。
試聴
大変おまたせしました。
ニッキー・ホーランドの「Prelude~Ladykiller」
コレ聴け!
※参考 : フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Nicky Holland 2ndアルバム『SENCE AND SENSUALITY』五十嵐正氏による日本版ライナーノーツ
Livedoor Blogの中からUKロックを紹介している方のブログ
(http://blog.livedoor.jp/uknw80/archives/50646441.html)