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私にとっての最大の聖域に入ってしまいました!!
大、大、大好きなケイト・ブッシュのコーナー!
今回、好きすぎてこんな感じになりましたが、
ケイトの音楽そして人柄の魅力を紹介していきますね。

神聖な存在のケイトだからこそ…

さんま マイケル・ジョーダンとの共演を断ったぁー?

明石家さんまさんが大好きなマイケル・ジョーダンとの共演は断っている」ということをテレビ番組で見たのだが、その理由はあるラジオ番組で詳しく語られていた。次のように発言されている。

「メディアで有名外国人とは会わないようにしている。日本に来て日本のテレビをなめて手を抜いたりする人がいて、それが自分の好きな人だったら余計ショック。マイケル・ジョーダンとは好きすぎて『会いたくない』という感情も生まれてしまう、『このまま会わないで一生過ごしたい』っていう気持ちが強いんですよ。」ということで、NBAのステフィン・カリーゴルフプレイヤーのタイガー・ウッズなどとの共演も断っているらしいです。

その気持ち、実によくわかります。さんまさんと私の立ち位置は雲泥の差ぐらい違うのですが、私にとってのケイトは、さんまさんのタイガー・ウッズのような存在なのです。だから、ゴシップネタに限らず生活感ただよう現実話しも知りたくない心境でいます。ですから、申し訳ありませんが今回はあまり深堀りせず、参考文献はライナーノーツから見えてくる音楽がらみのこと、そして作品から見えてくるケイトの世界観を語らせてもらおうと思います。

一作品一作品が聖典を成しているような…

先述したとおり、ケイトが大好きです。だから、初めて聴く人にもできるだけ好きになってほしいし、変な印象でこのサイトから離れてもらいたくないので、いつもよりちょっと気を使っています。私なんかがどんなに形容詞を述べても逆に温度差で引かれるかもしれないので、ライナーノーツに書かれている賛辞を並べることとします。有名なアーティストなので一生懸命アピールしなくてもいいのですが…

音楽評論家からの賛辞の言葉

*魅惑の天才少女
*没個性的なサウンドで一色に塗りつぶされつつあるポピュラー音楽界という池に、いきなり咲き誇った大きな美しい蓮の花であるということを理屈抜きで教えてくれるし、その蓮の花に触れた人は必ずやそのえもいわれぬ香りと色に魅せられてしまう
*確固たる自分のスタイルを持っているアーティスト
*彼女が残した夢と愛へのメッセージは、全く月並みなものではないからこそこんなにも人を夢中にさせる
*天性のコケティッシュな美貌
*思いがけない比喩やイマージュを使って独特な感覚にあふれた詩的な世界を描き出す
*ジョイス・マンスールのようなシュルレアリスムを代表する女流詩人、小説家をひきあいに出して語られるようなアーティスト、カメラにむかってポーズをとった写真が雑誌のグラビアを飾るよりも、”ユリイカ”のような雑誌で特集された方がずっとふさわしいアーティストなのだ
*現実に触発され現実の延長の上に彼女自身の想像の産物を付け加えるケイトだからこそ、彼女のレコードは人間の意識の中に感覚のパノラマを繰り広げることができるのだろうが、それは本当にかけがえのないものだ
*時間も何も、全てのものを超越している
*針を下すたびに新鮮な衝撃を感じることができる
*ケイトほど、当初より孤高のカリスマとの大仰な賛辞がやけにしっくりと馴染んだケースもまた珍しい、それもそのはず、誰しも彼女の恐るべき才能を持て余し、「発見」から2年もの月日を経てようやく「公開」へと至ったその天性のミラクル・ヴォイスは、あまりに衝撃的な独創性に満ち溢れていた
*彼女特有の持ち味に一層の神秘性を投げかけたのは、妖精とも小悪魔ともつかぬ、まるでとらえどころのない微笑を満面にたたえた可憐なる美貌、あるいはリンゼイ・ケンプ直伝によるマイム等を変幻自在に操っての特異極まりないボディ・ランゲージ
*いつしかケイトの名は、それ自体がひとつのトータル・アートを意味するまでとなった
*アメリカン・マーケットなどに妙な色気を示すことなく、あくまで本国イギリスを始めとするヨーロッパ一円でNo.1ステイタスを誇りと感じる無欲さこそが、何より彼女の潔くもストイックなライフ・スタイルを雄弁に物語る
*サウンド作りに労をいとわない彼女の作品を追って聴いてさえいれば、最先端テクノロジーの一端を垣間見ることができ、しかもそれに対応(いかに人間的な感情を損なわずに音楽を作り出すか)する手段をも聴き取ることができる、それほど彼女の作り出す作品というのは大層で、才女たる所以はここにもあるのだ
*音楽の形式理論だけではケイト・ブッシュの音楽は成り立たない、音楽の持つ流動性と多義性を活用してより自由な発想があってこそ、そこにケイト・ブッシュの音楽(リアリティ)が生まれる、そして彼女が作り出すリアリティとは、構成されたイメージにほかならない、そしてその音楽世界は、一度足を踏み入れたら最後、かぐわしい魔性の感性を持って、聴く者たちの心をつかんで、決して離さないのだ
*ちょっと欲を出せば、いつだってプリンスやマドンナのようになれただろうけど、それをケイトがやってしまったらこういうアルバムは作れない
*妖精やら天使やら小悪魔といった”この世のものでない何か”に例えられるような、ある種”超越した存在感”を放つシンガーはこのケイト・ブッシュをおいて他にいない
*デビューアルバムのオープニング、狼の咆哮(ほうこう)とも、風の音とも、妖しい生き物のざわめきともとれる、少し寒気のするような音の後に、跳ねるように出てきた高音のその声に、誰もが驚きを禁じえなかった、その声は最初から”命”を持っていた、人間の声だから当然だろうって?いや、違う、その声自体が1つの生命体のようで、曲をスタートさせると、本当にピョンッと声が飛び出てきて「こっちへこっちへ」とまるでローレライかセイレーンのように誘う、妖しの世界へ、夢の世界へ、物語の世界へ
*その”命”の力、輝き、響きは、19歳の少女の常識をはるかに超えていた、あまりに妖しく、しかし神々しく、母であり娼婦であり魔女であり天使であり、あらゆる命の源であり命の終わりを告げる何かであり、純粋さの極みであった
*デビュー当時の19歳の少女は、その声にふさわしい言葉を最初から持っていた、それはとてもセンシュアルなもの、単に性的欲望を露わにしたというものではなく、”子宮の躍動”、すなわち”育み、生む”器官である子宮の母なる存在感そのものを感じさせる言葉を紡いでいた、それは、男とか女とかを超えて、あらゆる聴き手のド真ん中にガツンッと衝撃を与えるようなものだった
*彼女には類稀なメロディー・メーカーとしての才も最初から備わっていた、きっと彼女は風の声を、大地の叫びを、獣たちの声に出さない声を、命のリズムを聴き取れるに違いない、そしてそれを譜面へと落とす
*ビョークやサラ・マクラクランやトーリ・エイモスやダイドや、あのコートニー・ラヴまで、活躍する女性の多くがケイトの影響を公言している、さらにはトリップ・ホップ・シーンを担ったトリッキーや、米南部出身のヒップホップ・ユニットのアウトキャスト、UKロックを代表するトラヴィス、ニューウェーブ・リバイバルのフューチャーヘッズなど90年代~の男性アーティストたちなどもケイトからインスバイアされたことを認めている
*ケイトが人生の中で芸術家として、人として、1つ先へ、上へ進んでいく姿が見えてくるような気がした
*ふりかえれば、これほど才能と商業的な成功という二つの栄光に包まれた女性アーティストはいなかった
*~しかし同時に自己満足的かつ芸術主義的なアーティストではないことも事実で、大衆性と芸術性を誰もやったことのない高みで同時に達成しているのがケイト・ブッシュというアーティストなのである

ただ羅列したたけなので少々わかりにくいかもしれませんが、一曲一曲に魂を込めて制作している感じは伝わったのではないでしょうか?そして、内容が男女間の愛をはじめ社会風刺や人間関係のこと、生理的現象のことなど誰しもが1回は考えたことがあるような内容を、小説ぽかったり、抒情詩的だったりしながら、歌にも映像にも抜かりなく表現されています。そして、提示するだけではなく、それによる戒めめいたことや解決につながる糸口なんかも表現されているように思います。

ということで、ケイトの音楽に触れると自分の中で何かが浄化されているのがわかる。決して大袈裟な感覚ではなく、日めくりカレンダーに書かれている格言を見て感じる気持ちや、おみくじの神様のお言葉を心に留めたりする感覚に似ているかも… そういう感覚の作品が集まってケイト・ブッシュの聖典が成されていると思います。(実際は、凄く大きなテーマもあります)

懺悔のコーナー

1978年(19歳) 1stアルバム『The Kick Inside~天使と小悪魔~』※※
1978年(20歳) 2ndアルバム『Lionheart~ライオンハート~』※※
1980年(22歳) 3rdアルバム『Never For Ever~魔物語~』※※
1982年(24歳) 4thアルバム『The Dreaming~ドリーミング~』※※
1985年(27歳) 5thアルバム『Hounds Of Love~愛のかたち~』※※
1989年(31歳) 6thアルバム『The Sensual World~センシュアル・ワールド~』※
1993年(35歳) 7thアルバム『The Red Shoes~レッド・シューズ~』
2005年(47歳) 8thアルバム『Aerial~エアリアル~』※※
2011年(53歳) 9thアルバム『Director’s Cut~ディレクターズ・カット~』
2011年(53歳)  10thアルバム『50 Words For Snow~雪のための50の言葉~』

上記はリリースされたスタジオアルバムです。※※はレコードCDともに所持し愛聴しているもの、※は所持しているが思い入れの少ないもので、持っていると思い込んでいたけど、シングル2枚だった。最後の2枚は不覚にも存在を知らなかったものです。ケイト・ブッシュの信者だと豪語していたくせに何たることか!!と思われても仕方ないことですが、言い訳させてもらえるなら、1~5枚まではケイトらしさが存分に存在する癖だらけのものだが、6枚目から少し様子が変わりました。耳馴染みのよいロックに近い自分好みの方向になった印象を持ったのだが、イントロはいいが1曲通すとあまり引っ掛かからない感じで、それでも何回も聴いたのですが愛聴に至りませんでした。1~5枚目が良すぎたのでしょう。8枚目は久々の新譜ということで聴き、フルモデルチェンジされた新鮮なケイトの良い作品という印象でした。主人から「ケイト・ブッシュのボックス版が出てるけど買わなくていいの?」と言われていたが、てっきりベストアルバムとかリマスターものだと思い込み放っていたことから、9~10枚目の存在を知らないままという結果を生んでしまったのだろう。ボックス版を気に留めていたら新譜を知るきっかけになっていたと思うから。他にもいくつか言い訳はあるのですがこれぐらいにしておきます。これが私の懺悔です。

この度、皆さんに聴いてもらうために「KATE BUSH Collection」というタイトルでおススメの12曲の動画を作成し、YouTubeにもアップしました。その後に、何かの拍子に10枚目アルバムの曲をYouTubeで見ることがあり、それがなかなかの名曲だったので、これを機に持っていないアルバムを急いで購入しました。また、先ほど愛聴に至らなかったと言った6枚目も、現在の私が聴くとちょっと違って聴こえたので是非紹介したいという訳で、このブログを書き終えたら「KATE BUSH Collection part.Ⅱ」を作成することに決定!!本編に入りきらなかった曲も含めてのラインナップとなります、乞うご期待!!

ケイト 音楽活動の歴史

アマチュア時代

●1958年7月30日、イギリスの裕福な医者の家庭で二人の兄に続き長女として誕生。小さい頃、死んだ肉を食べていることに気付いてから菜食主義となる。

●10歳になり父からピアノを習う。学校の文集にケイトの書いた詩が掲載されたのを機に、次々と知的な詩を書くようになる。

●13歳の時、音楽の授業の課題に作曲があり、友達の分までサポートしているうちに自分のための作曲も開始することとなる。この頃「嵐が丘」などのアイデアが浮かんでいる。当時は兄の影響でプログレッシブ・ロックからトラッドやフォークまで様々な音楽を聴いていた。

●14歳の時、学校でのミュージカル劇に出演し、シンガー、ダンサーとしての初舞台となる。ピアノで弾き語りをするようになり、「少年の瞳を持った男」や「サキソフォーン・ソング」を書き上げている。無意識のうちに詩と曲が頭に浮かんでくるらしい。

●17歳の時、医者になるか音楽の道に進むか迷い、音楽の道を選ぶ。学校での勉強では限界があると判断し、中退し独自の方法で音楽の素養を身につけた。兄を含め4人でバンド活動を開始し、ケイトはストレートなロックン・ロールを歌っていた。始めて間もない頃、リッキー・フーパーという人と知り合ったのを機に、プログレッシブ・ロックの先駆者としても知られ、同ジャンルにおける5大バンドの1つとも言われているピンク・フロイドPink Floydデヴィッド・ギルモアDavid Gilmourを自宅に招きケイトの歌を聴かせることとなった。翌月には、デヴィッド・ギルモアにスカウトされ、彼の出資で15曲のデモテープを制作し、プロデューサー・アレンジャーのアンドリュー・パウエルAndrew Powellとも知り合う。そして、ギルモアが英EMIのボブ・マーサー氏にケイトのデモテープを聴かせ、すぐに契約が成立する。契約金が3,500ポンドで「私は十分すぎるほどの時間とお金を与えられたの。アーティストにとってこんな素敵なことはないわ」と言ったらしい。

プロ時代

●音楽を生み出すのと同時に肉体でも表現できたらそのエネルギーは倍以上になる、と思い無言道化師とて有名なリンゼイ・ケンプLindsey Kempに弟子入りしたり、歌とピアノの本館的なレッスンをおこなった。そして、ケイト自身がマネージメント・ディレクターとなるマネージメント会社を設立し、アルバムなどのカバー・デザインやコスチュームのデザインも自分で始めた。

●1978年、十分な準備期間を経て正式にデビューとなる。

デビューアルバム『The Kick Inside~天使と小悪魔~』は、アンドリュー・パウエルがプロデュースしたのだが、「このアルバムはアンドリュー・パウエルがコントロールしている部分が多かったの、私はビクビクしてたし、何か言ってもあまり聞き入れてくれなかったから、ほとんどおとなしくしてたわ。でも本当に気に入らない時は、ちゃんと抗議したのよ。」と言ったらしい。

その年に東京音楽祭のために初来日し、「嘆きの天使」でエントリーし銀賞を獲得。その際「今回の受賞で私自身の考えでは銀賞以下のできだと思いました。もしそれ以上の賞を受賞するようなことがあれば、このフェスティバルの真価にきっと疑問を持ったことでしょう。」19歳でこんな考えを持っていたとは…

「嵐ヶ丘」で得た収入で、自宅の裏庭に小さなレコーディング・スタジオを建て作曲に励んだ。

同年、日本ではセイコーのCMで「ローリング・ザ・ボール」がケイトの歌っている映像とともに流れる。地方には流れていなかったのか、残念ながら覚えていないのですが、貴重な映像をブラウン管で見られた人いますか?

●同年、2ndアルバム『Lionheart~ライオンハート~』をリリース。イギリスで25万枚、全ヨーロッパで85万枚のセールスを記録。「今度のアルバムの曲は前のアルバムの曲よりもテンポがあるものが多いでしょ。私もやっぱりロックっぽい方が好きなのかも…」と言っている。前作同様アンドリュー・パウエルを初め、スチュアート・エリオットStuart Elliottダンカン・マッケイDuncan Mackayデヴィッド・パットンDavid Patonイアン・ベアンソンIan Bairsonといった前作と変わらぬスタッフにバックアップされ、自由に独特な感覚にあふれた詩的な音宇宙を構築している。「音楽に関して一番重要なことは、音楽はメッセージを運ぶものということです。たとえ、どんなメッセージであっても。私は精神科医になるより、ソングライターになってとても良かった。私は今、人々を戸外へ飛び出させることができるかもしれない。」と言っている。

●1979年、次々にボーカリストとしての名誉の賞を受賞する。そして、ライブ活動も開始したり、内容が共感できるものであれば他のアーティストのコラボにも参加し活動の範囲を広げた。しかし、ドラキュラ映画のオファーがきた時は断った。「私にこんな役がまわってくるなんて驚きね。でも、私には吸血鬼の役なんて似合わないと思うの。」とのことですが、イヤイヤぴったりかと… また、映画007<ムーンレイカー>の主題歌の話しをもちかけられた時は、「主題歌の話しがきた時は嬉しかったわ。でもね、他の人が作ったものを歌ってほしい…と言われて、その曲自体納得できるものではなかったので断ったの。」と言っている。どんな曲か聴いてみたところ、アカデミックな曲で大変上手な人が歌っていましたが、普通の歌唱法でした。クセのあるケイトの歌声を起用したかったのか、商業的にケイトを起用したかったのか… ケイトバージョンも聴いてみたいです。

●1980年、再び最優秀ボーカリストを独占。英ポップ&ロック大賞で同賞を受賞した際は、「私がこの賞をとれたのはとっても感激!でも、それはきっと他に素晴らしい存在がなかったからね。」ともちろん謙遜して言っているのでしょうけど皮肉にも聞こえないことはない。

同年、3rdアルバム『Never For Ever~魔物語~』をリリース、全英第1位を獲得している。今までになく本当に満足のいく作品が作れたと語っている。というのは、有名プロデューサージョン・ケリーJohn Kellyとともに自らプロデュースしたからだ。「自分の音楽について明確なアイデアがあったの、でも他の人がプロデュースすれば、少しずつ変わっちゃうでしょ、だから自分でやってみたわけ。出来としては、本当に満足できるものよ。」と言っており、この経験がやがて大きな収穫を生んで次に続くこととなる。

●1982年、4th『The Dreaming~ドリーミング~』をリリース。自宅のスタジオにあらゆる機材を搬入し、水を得た魚のように音楽制作に没頭する。常に良い作品をつくる為のアイデアに繋がることにはアンテナを張っており、刺激あるアイデアが浮かぶと今までしていた作業を中断したり方向転換したり、1つの作業に存分の時間をかけた。通常、レコーディングでは24トラックあればこと足りることであるが、72トラックをフル活用し、その内の36トラックをボーカル・パートにあてるという入れ込みよう。リリース後『精神病院へ入院した』という都市伝説みたいな話しはよく聞く。これは私の想像だが、曲のコンセプトに合わせて細かい配慮を重ねるごとにケイトが描いている世界の音に近づいていくことの喜びは、格別なものだと思います。録音しては聴き直し、別テイクを録っては聴き比べ、全く違う発想のものもやってみる…等々気の遠くなるような作業を、イヤイヤではなく、寝る間も惜しんで楽しくやっていたのだと思います。おそらく、その時期生理もなかったのではないでしょうか?精神のバランスが崩れるのは当たり前だと思います。

一方、サポートメンバーは、先述したメンバーに加え、アンドリュー・パウエル(Key)、ケイトの実兄パディ・ブッシュPaddy Bush(mandolin、perc、vo)、ブライアン・バースBrian Bath(g)、デル・パーマーDel Palmer(b)、プレストン・ヘイマンPreston Heyman(ds)、アラン・マーフィーAlan Murphy(g)で、本作からジェフ・ダウンズGeoff Downes(Key)、ジミー・ベインJimmy Bainダニー・トンプソンDanny Tompson(b)、シーン・キーンSean Keane(vln)といったブリティッシュ・トラディシショナル・フォーク・シーンきっての大御所達を加え多彩を極める顔ぶれである。ケイトの発掘者たるデヴィッド・ギルモア(vo)が正式に参加するのは意外に本作が初めてである。

こうして、レコーディングに15カ月、さらには、トラック・ダウンにさえ1カ月もの期間を費やして”問題作”なるドリーミングが完成する。

同年、ケイト自身による自叙伝「Leaving My  Tracks」が発刊される。

●1985年、5thアルバム『Hounds Of Love~愛のかたち~』がリリースされる。これも3年がかりの大作で全英第1位を獲得している。日本語ライナーノーツは対談形式でここに特筆するような内容がなかったので、私の感想を述べたいと思います。特にマニアックなものが好きな人は別ですが、初めて聴く人にはおススメのアルバムだと思います。3rdや4thよりもソフトでポップになっています。それでいて、ケイトらしさはガッチリ残っていますので聴きごたえあります。

●1989年、6thアルバム『The Sensual World~センシュアル・ワールド~』をリリース、全英第2位を獲得。私が持っているのは輸入盤で日本語ライナーノーツがないので、少し感想を述べたいと思います。先述したように、当時は物足りなさで愛聴盤にまではならなかったというのが正直な感想です。それまでクセがあり過ぎたので、「ケイトも普通の曲を作ればいいのに」と思ったことがあり、正にそんなアルバムではないか、とイントロだけ聴くと期待で胸がふくらみました。しかし、全体を聴き終えると引っ掛かりが少な過ぎて「ん~」となりました。何回聴いても、時間を置いて聴いても… 決してクセがないわけではないのですよ。ケイトに普通の曲を求めたりクセがないと物足りなかったり矛盾していますよね。やっぱりケイトの毒牙にやられているんでしょうね。そんな感じで当時は進化したケイトについて行けていませんでした。今回、30年越しの耳で聴き直してみようと思っています。

この頃は、英米のテレビを中心に積極的にプロモーションを行ったり、1990年には、集大成的な『ケイト・ブッシュ・ボックス~ディス・ウーマンズ・ワーク1978-1990』をリリースするなど結構活動的だった。

●1993年、7thアルバム『The Red Shoes~レッド・シューズ~』をリリース、全英第2位を獲得。急遽購入したライナーノーツから内容を紹介していきたいと思います。この作品は、アンデルセンの童話をもとにした創作バレエを描いたイギリス映画『赤い靴』にインスバイアされたものだ。バックミュージシャン達の顔ぶれは、彼女のキャリアを集大成するような以前からのメンツ、それに加えエリック・クラプトンEric Claptonジェフ・ベックJeff Beckゲイリー・ブルッカーGary BrookerプリンスPrinceという超豪華アーティストとくるのだから驚きです。聴きこんではいませんが、前作よりもロック色が強くギターの入れ方やベースラインがカッコよく、グルーブ感もあり好印象です。

同年、イギリスで開催される音楽の祭典式”ブリット・アワード”で最優秀女性アーティスト賞を受賞。
2002年、イギリス作曲家協会による賞を受賞し、英国音楽に対する多大な貢献が評される。

●2005年、8thアルバム『Aerial~エアリアル~』を12年ぶりに2枚組でリリース、全英第3位を獲得。この12年間の空白は、出産、育児というケイトにとってかけがえのない期間だったのだ。気になるお相手は、レコーディングにも参加しているギタリストのダニー・マッキントッシュDanny Macintoshである。「もしかするとこの12年の間に彼女は音楽に対する様々な葛藤があったかもしれないし、逆にバーティ(アルバート)の誕生で母親になったことが彼女を無の境地にまで到達させたのかもしれない。つまり、大きな変化があった上で結果的に原点に回帰したと考えられる。」とライナーには表現されているぐらい洗練されていると思う。イギリスの音楽関係者の間で”最高傑作”なる声もあるぐらいだ。

●2011年、9thアルバム『Director’s Cut~ディレクターズ・カット~』をケイト自身のレーベル”Fish People”より初のリリース。内容はケイトのプロデュースにより、『センシュアル・ワールド』と『レッド・シューズ』に立ち返り新たに手を加えたもので、再録音を行った曲もある。プロデュースまでもやってのける彼女だから、他の、歌だけ歌っている人や特定の楽器だけやっている人、作詞だけやっている人達には想像できない世界や音空間まで見えているのかもしれない。今回のアルバムを思いつくこと自体が、まぎれもないケイトなのだと思う。手を加えたかった理由の1つに歌詞へのこだわりからくるものがある。というのは、アルバムと同タイトルでもある「センシュアル・ワールド」という曲の歌詞は、当初アイルランド出身の小説家ジェイムズ・ジョイスJames Joyceの1922年に出版された長編小説『Ulysses(ユリシーズ)』の最終章の文章を歌詞にしたい、と思っていたが使用許諾が下りず、しかたなく自分で歌詞を付けていたという経緯があり、この度、再度お願いしたところ許諾されたのだ。生まれ戻った曲は改題し「フラワー・オブ・ザ・マウンテン」となっている。この歌詞… いかにもケイトが好きそう。

その他、随時発売されるリマスターものやボックスセットなどは、ケイトのこだわりがつまったものと言えます。その陰には、時代の流れによる機材の変化が大きいと思われます。(良い意味でも悪い意味でも)

●同年、10thアルバム『50 Words For Snow~雪のための50の言葉~』をリリース。9thから半年おいてのリリースとなる。雪をめぐるコンセプト・アルバムで、アルバム全体の傾向をわかりやすく説明した文章があったのでそのまま掲載します。

これまでのケイトの作品と言えば72トラックを使い約1年半かかってレコーディングした『ドリーミング』に象徴されるように、徹底的に凝りまくった音作りが魅力の一つでもあった。しかし今作は明らかに違う。シンプルな音のすき間は大きく、言葉は研ぎ澄まされたものだけがお互いに響き合っている。たしかに実際に耳に聞こえる音は少なく、描写する言葉は多くないのだが、逆にその開いた空間に流れるさまざまなドラマや音のうねりは、どんな多弁な言葉や音よりも刺激的な気がする。ポピュラー・ミュージックの定型的な形にとらわれず、また彼女が築き上げてきたイメージにこだわることなく作り上げたアルバムには、これまでの多くの経験から生み出された冒険心が渦巻いており、それを素直に出せる彼女の強靭な意志と才能に改めて感動させられる。

●近年、全スタジオアルバムがケイト・ブッシュ監修のもとリマスターされ、CDとLDが単品とボックスセットで発売されている。お店の広告を見ているだけでウキウキするようなパッケージですよ。

いよいよ、試聴は次のページへ続きます。