文

今回はとっても贅沢な回です。その贅沢な回をどのような構成で進めようかと思案した結果、次のようなスタイルで皆さんを異国の世界へいざなうことにしました。コラード・ルスティッチの「When You Call My Name」までの道のりを、しばし私におあずけください。贅沢な曲を聴きながら、まったりとした上質な時間をお届けすることをお約束いたします。

ブォン・ジョールノ!! Buongiorno.こんにちは!!
ミ・キアーモ・フミ Mi chiamo Fumi.私の名前は文です
皆さん、イタリアという国にどんなイメージを抱いていますか?ミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ローマ、ナポリ… 主要な観光地を挙げただけですが、平凡な暮らしから一瞬抜け出しロマンチックな気持ちにさせられませんか? 他に美味しそうな感じ、暑そうな感じ、遺跡の名所、ブーツの形等々、色々なイメージがあるかもしれませんね。行ったことがないので、こんなチープな発想しか出ませんでした。イタリアのことを知らない私ですが、大好きなイタリアン・プログレッシヴ・ロックの方面からアプローチしていきますね。

オザンナ(OSANNA)…Ⅰ期

半世紀ほど昔、イタリア南部に位置するナポリという都市にオザンナというグループいました。ナポリというと、温暖な天候の中で陽気に暮らしている人たちが目に浮かびますよね。また、映画にもよく登場するマフィアの一族なんかも現実に存在していて、ロマンティックかつスリリングで情熱的な世界観がありませんか?
そのオザンナですが、先ずこの表を見てください。

ルスティッチ兄弟の資料PDF ※ぼやけて気持ち悪っかたらこちらをご覧ください。

この物語は、真ん中白い部分に書いているオザンナから始まります。別に覚える必要はないのですが、ざっと目を通しておくと次からの説明がわかりやすいです。尚、この表は、ルスティッチ兄弟の軌跡が視覚的にわかりやすくするためのものであり、かなり簡素化しています。そのため個々のメンバーも有名な人であるにも関わらず、バサッと省略していますがご了承ください。

オザンナは、リノ・ヴァレッティ(Vo)、レロ・グランディ(b)、マッシモ・グァリーノ(ds)、エリオ・ダンナ(sax)、ダニーロ・ルスティッチ(g)の5人グループで、プログレ界では数多くの名曲を残した有名なバンドです。しかし、あることを巡ってリノ、レロ、マッシモエリオ、ダニーロの二つに分裂してしまいます。それは、英語圏(イギリス)へ進出してインターナショナルなバンドを目指したい後者とそれを望まない前者が対立してしまったということです。後者は、一歩先に成功した同じくイタリアのバンドPFM(プレミアータ・フォルネリーア・マルコーニ)に続いてイギリス、アメリカへ進出したいと思っていたのだ。雑誌や何かには、この “分裂” という言葉が必ず入っており何やら緊迫したムードを連想しがちですが、実のところは殴り合いや罵声の飛ばし合い…みたいな様子ではなく、単に目的が異なったというだけではないか、と思うのですが…。拠点を大きく変えるということは、言ってもそう簡単なことではなく色々と悩ましい事情があったのではないでしょうか。その証拠に、ナポリの人特有の仲間意識という理由もありましょうが、後々も両者の交流は続いているので平和的な解散だったのではないかと思うのです。
やっぱりそうでした。他のライナーを読み進めていると同様のことが書かれてありました。

という訳で4thアルバムを制作するや否や解散し、それぞれのみちで活動することとなります。オザンナをこんな数行で語るには短かすぎますが、配分を考慮して今回はこれぐらいにしておきます。
ミ・ディスピアーチェ Mi disoiace.ごめんなさい

ウーノ(UNO)

先ず、夢を追いイギリスはロンドンへ向かった二人は、エンゾ・ヴァリチェッリ(ds)を迎えトリオ編成で「ウーノ」を結成し、アルバム制作にとりかかった。本作イタリア版は英語とイタリア語が半々ぐらいの配分だが、英語圏を意識した全曲英語のインターナショナル版も準備した。しかし、フランスとドイツのみのリリースでイギリス進出の願いは叶わなかった。アルバム全体の私の印象は、どの曲もナポリの哀愁が漂った異国情緒あふれる良い作品だと思うのですが、イギリスでのリリースが叶わなかったことを考えてみると、少し小粒な感じなのでダイナミックな発想が加わっていればよかったのかな?と思いました。例えば?と言われても凡人の私にはわかりません。

ここで、プログレに馴染みのない人の為に少しだけ補足しておきます。正直言ってプログレを語るのは容易ではないし、そもそも定義があるのかどうかもわかりません。ここでは、聴くのが楽しみになるようなことだけ書こうと思います。よくご存知の人は次へお進みください。
♪曲に込められた内容をいろいろな角度から表現しており曲調の自由度が大きい。
♪1曲が長かったり組曲になったりしているアルバムもある。
♪自国の特性が出ていて風情がある。
♪変拍子が多かったり往々にして演奏が上手い。
♪アルバムジャケットが独創的。

では、ウーノを聴いてみましょう!! 今回選んだ曲はイタリア版ですが英語の曲でした。ちなみにインターナショナル版の方は詞の内容もジャケットも全然違うらしいです。そう、ジャケットと言えば、先ほどの分裂後の関係性につながるのですが、表ジャケットはイタリアに残ったマッシモが、インナーの写真撮影はリノが手掛けているらしく、学生時代からの友人であり音楽を離れれば仲の良い友人同士だったとのことです。動画の中でジャケットや写真を入れているのでチェックしてみてください。uno のロゴが気持ち悪いけど可愛いですよ。ちなみに、ウーノとはイタリア語で数字の「1」のことです。

文

1974年、ウーノのアルバム『Uno』より「Right Place」。
12玄ギターとフルートから始まる雰囲気は、まるで森の中の妖精が徐々に姿を現しているかのような感じ…
そして、印象的なフレーズが心を掴みます。
草笛みたいなエリオのサックス、暗いダニーロのギターの音色は独特な雰囲気を醸し出します。
コレ聴け!

ノヴァ(NOVA)

インターナショナルなバンドを目指していた彼らは、ウーノでの英語圏進出の失敗にもめげず、コラード・ルスティッチをもう一人のギターとして迎え、心新たにノヴァというグループを結成した。彼コラードこそ、ダニーロの実弟、ほんの17歳やそこらの若僧、今回の主役である。既に彼が率いるチェルヴェッロというバンドでも成功をおさめている只ならぬ才能の持主なのである。情報が飛び交いわかりにくくなることを避けて省略していましたが、実は、ウーノのアルバム録音やライブにはコラード・ルスティッチも関わっていました。ですから、志しが1つの方向へ向くのは自然な流れだったようです。

初めに言っておくと、ノヴァは大成功をおさめました。ウーノでの経験が色々な意味でプラスに働いていたのではないでしょうか。4枚のアルバムをリリースしたのですが、好みは置いといてどのアルバムも素晴らしいです。パーマネントなメンバー以外の入れ替わりやプロデューサーの違いにより、どのアルバムも個性的な仕上がりで飽きません。パーマネントなメンバーで言うと、残念ながら兄ダニーロが1stアルバム制作後イタリアへ帰ってしまいます。ライナーによると、クロスオーヴァー/フュージョン指向の強いコラード&エリオ組との対立に加え、食べ物が口に合わなかったことと、寒いロンドン生活が耐えられなかったことがノヴァ脱退の理由のようです。ドラッグ中毒の話しも聞いたことがありますが、それは後々に組んだバンドを解散してからのことのようです。

ウーノの時に植えた種がノヴァになってから次々に芽が出て根を張り巡らせ、数々の世界的なミュージシャンとアルバム共同制作することとなる。名前だけ羅列します。ルパート・ハイン(プロデュース)、ナラダ・マイケル・ウォルデン(ds/プロデュース)、ロビン・ラムレイ(プロデュース)、フィル・コリンズ(per)、ジョン・ライア(プロデュース)、他多数。
コラードをはじめ主要メンバーの力は勿論、人脈の広がりがうかがえる。イギリス、そしてアメリカの多くの人に聴いてもらうという夢が叶った。
コングラトゥラツォーニ! congratulazioni.おめでとう!

アルバムの簡単な紹介をしておきます。

1976年 1st Blink ジャズロック
1976年 2nd Vimana クール&ミステリアスなブリティッシュ・ジャズロック
1977年 3rd Wings of Love クロスオーヴァー・ジャズ
1978年 4th Sun City アメリカナイズされたイタリアン・プログレッシヴロック

順番に聴くとわかりますが、アルバムを追うごとにポップになっていきます。しかし、好みは別としてグレードは保っています。今回は、オザンナ時代からの主要メンバーのエリオとダニーロ、そしてコラードに思いを馳せながら何回も聴き直しましたが、ダニーロが「目指していた音楽と違う」と判断して1stアルバム制作後に脱退した理由も納得いきます。特に1stは、ウーノの雰囲気とは全く異なり粗削り風な作品に仕上っています。また、その後のオザンナやルーナの音を聴けば、彼が本当に出したかった音はノヴァの音ではなかったんだな、ということがうかがえます。

では、厳選なる選曲の結果、2曲紹介することとします。

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1976年、ノヴァの2ndアルバム『Vimana』より「Vimana」。
ヴィマーナとは、ヒンドゥー教やサンスクリットの叙事詩に登場する「空飛ぶ宮殿」あるいは「戦車」などの事らしいのですが、残念ながら内容がわからないので、動画の画像は私の独断と偏見の選択です。
時には繊細に… 時には大胆に… 音楽で情景描写がなされています。
また、ドラムはフュージョン界で有名なナラダ・マイケル・ウォルデン!!
コレ聴け!

文

1977年、ノヴァの3rdアルバム『Wings of Love』より「Blue Lake」。
和訳歌詞も載せているのですが、母国のことを歌っているような気がします。
そして特徴的なボーカルはコラードです。
オリエンタルなフレーズに心を揺さぶられます。
ノヴァの一押しの曲で、超絶でかっこいいエンディングがあります。
3rdは、前回アルバムのドラマー、ナラダ・マイケル・ウォルデンがプロデュースしています。
コレ聴け!

チッタ・フロンターレ(CITTA FRONTALE)

一方、イタリアに残っていたリノとマッシモは、新たにメンバーを入れ6人体制でチッタ・フロンターレを結成した。と言っても、このバンド名はオザンナと名乗る前のバンド名である。

ところで、ナポリって言うとどういうイメージがありますか?私は、特に理由もなく只々哀愁を感じるだけでしたが、頑張って調べて少しだけ補足します。イタリア南部にあるミラノ、ローマに続く第三の都市で、ポンペイ遺跡青の洞窟があるカプリ島ヴェスヴィオ火山などが観光地として有名で「ナポリを見てから死ね」と言われるぐらい風光明媚な土地です。

イタリア地図

また、食べ物で言うと “スフォリアテッラ” なるものや “マルゲリータ” もナポリ生まれ、なぜか “ナポリタン” は日本生まれですけどね。一方古代ギリシヤ人、シチリア王国、ハプスブルク家、ナポレオン戦争…等のワードが飛び交う歴史については、まとめる自信がないので省略させていただきます。そういう植民市時代を経てのナポリで、イタリア北部に比べると経済力は貧しいのですが、人間味豊かな住みやすい町で、よそ者を上手く受け容れる体質があるみたいです。オザンナのオリジナルメンバーの絆が証明していますね。

ナポリナポリの街角

そういう土地で生まれ育った彼らが作りだす音楽は、オザンナ時代から力強い生命力が宿っているのを感じる。チッタ・フロンターレの唯一のアルバム『来神(El Tor)』は、打楽器やアコースティック楽器を駆使し情景描写が上手く、超絶なリズム隊、ナポリ原語のボーカルが加わることにより、繊細な部分と精力的な部分が合わさりバランスのとれた作品になっています。キャッチーなメロディーは少ないけれど、雰囲気づくりと演奏が上手くて安心して聴けるアルバムです。

オザンナ(OSANNA)…Ⅱ期

先ほど、ノヴァの項で兄ダニーロがイタリアへ帰ってしまったと言いましたが、実はチッタ・フロンターレと合流していたのです。仲いいでしょう?それで、グループ名をオザンナに戻し活動を再開したわけです。かつて、インターナショナルな世界を求めて渡英した時と同様、母国イタリアに対する熱い思いが5thアルバム『スッダンス/南の踊り』に投影されています。正に民族的な旋律をもったイタリアン・ジャズ・ロックなのだが、以前のような華やかなシーンは得られずほとんど注目されることなく活動休止状態となる。以前のオザンナを求めていたリスナーの心には響かなかったようですが、当時聴くチャンスに恵まれなかったイタリア以外の多くの人が聴いていれば結果は変わっていたかもしれない… とライナーに書いてあり胸をなでおろしました。こんな名曲がそんな扱いを受けていいのか! とますます闘志が湧き “コレ聴け” の出番となるわけです。

文

1978年、オザンナの5thアルバム『SUDDANCE~スッダンス/南の踊り~』より「’A Zingara」。
イタリアの古の町へ、ふっとワープしたような感覚になれる曲です。
懐古的な旋律があなたを虜にすることでしょう…
コレ聴け!

ケ・オレ・ソノ? Che ore sono?今何時ですか?
小腹がすきませんか?
ブレイクを入れたらいかがですか?
次からは、何か口に入れながらイタリアを満喫してください。

パスタコーヒー
カルパッチョピザ

ルーナ(LUNA)

オザンナが活動休止状態になってしまったため、ダニーロは新しいメンバーでルーナを結成します。唯一のアルバム『Luna』は1981にリリースされるのだが、プログレシーンは衰退し始めていて、通常なら次の波にのまれて沈んでいくことも考えられる時期だった。しかしちょうどその頃、日本では各レコード会社から復刻版のシリーズ化が始まりイタリアン・プログレッシヴ・ロックに注目が集まっていた。海外に未紹介の重要なバンドに加え、無名のアーティストまでもがリストアップされるぐらい需要があった。そんな中、ルーナは新譜扱いで日本でリリースされるという幸運に恵まれた。私は敢えて “幸運” という言葉を加えた。というのは、どの世界でもそうなのだろうけど、需要がない所にいくら品質の良いものを提供しても商売にならない、すなわち、復刻ブームがなかったらリリースすら危なかったのではないかと思うのです。本来、芸術枠の音楽は、産業やリスナーの聴く能力に左右されることなく評価されないといけないが、悲しいかなリスナーに合わせた評価・発展となっている。リスナーの時代時代に合わせた音楽をやらないと聴いてもらえない世の中なのです。ブログを書きだして、とみに感じることです。でもこの頃のリスナーは過去の名曲の音を求めているので考えてみたら健全でした。すみません、撤回します。重症なのは現代でした。
というわけで、ルーナの新譜はそこそこいい波に乗れたのですが、ダニーロの名声があるがためにオザンナ(Ⅰ期)の音を求めていたリスナーは、進化したルーナの音には響かなかったみたいです。少しポップにはなってますが、いい味が出ているんですけどねえ~
トリステ Triste.悲しい

文

1981年、ルーナのアルバム『Luna』より「Sulla Luna~月に~」と「L’isola~島~」の2曲。
音源はCDですが、ビリビリ言ってるし音圧も低いのでLP版おこしかもしれません。
それはそれで軽さが出て味があります。
サウンド面からナポリの泥臭さはなくなってますが、歌詞の中にしっかりと南部イタリアが息づいているらしいです。
今、「L’isola~島~」にはまっています!!
コレ聴け!

コラード・ルスティッチ(CORRADO RUSTICI)

さあ、ここからは主役のコラード・ルスティッチについて改めて紹介していきます。
イタリア、ナポリで、音楽家・芸術家の家庭に生まれた。8歳の時にビートルズにインスパイアされ、オザンナのメンバーの兄ダニーロのギターを練習するようになる。12歳になるとジミ・ヘンドリックスに衝撃を受け、ギター奏法やサウンドを研究後、独自のスタイルを確立する。14歳でバンドに参加し演奏を開始するとともに、作曲とアレンジ面は、ジェントル・ジャイアントジェネシスの影響を受けるようになる。16歳にしてチェルヴェッロというバンドを結成しリーダーシップをとりアルバム『メロス』をリリースする。商業的には成功しなかったものの、後に幻の名盤として認められるようになる。その後は、これまで説明してきたようにウーノとの関わりを機にノヴァに至る。

ノヴァ解散後は、アメリカ西海岸へ移住することとなる。ノヴァ時代に交流が深まったナラダ・マイケル・ウォルデンを通じて、スタジオミュージシャンやプロデュース業もこなすようになる。1987年のアメリカで制作されたラブコメ映画「マネキン」の主題歌、スターシップの「愛は止まらない」をご存知ですか? その曲でギターを弾いているのがコラードです。他の有名どころでは、アレサ・フランクリンホイットニーヒューストンジョージ・ベンソン等々の作品にも参加し知名度を上げている。また、度々イタリアにも戻りズッケロエリザPFMなどプロデューサーとしての手腕も発揮している。

1990年頃はプロデューサー業に集中していたが、1995年に初のソロアルバムをリリースし、以降プロデュース業の合間をぬって、これまでに5枚のアルバムをリリースしている。今回紹介するのは、1stアルバムと2ndアルバムから1曲ずつです。この2曲は、他の曲と比べてコマーシャルでどちらかと言えば挑戦的な感じがします。挑戦的という表現はおかしいですが、アルバム5枚の全体的な印象が、ロックではあるけれど環境音楽っぽい印象がある中で、ひときわ浮いているのでそういう表現になってしまいました。
先ずは、2ndアルバムから「Eros」を紹介します。ちょっと変なことを強要しますが、最初に口を閉じたまま下唇を出してください。次に「べ」と言いながら指で下唇を軽く叩いてください。「べ」にディレイがかかったような発音になりませんか? 曲に戻りますが、途中ダウンした部分でギターの音だと思うのですが、「べーべーべー」というそれが出てきます。その後の「ここぞ!」という感じのギターの入り方がカッコイイのです。バックのヴァイオリンが柔らかみと厚みを出していてギターが映えます。詳しくありませんが、全体的にスウィープ奏法という技法を駆使しているのだと思います。「べーべーべー」はどうやっているのでしょうか??? 落ち着いた大人のカッコ良さを持つ曲です。

そう言えばいつだったか、アルバムの宣伝を兼ねて、ジャーニーで名を上げた名ドラマー、スティーヴ・スミスらと地元近くのライブハウスに来日しており、ほとんどの客がスティーヴファンの中、夫だけがコラード目的で観覧。ノヴァ時代の曲が流れた際、思わず大きな反応をしてしまった夫を確認していたコラードが「Do you like NOVA?」と質問してくれたらしく、大変誇らしげに土産話しにしてくれたことを思い出しました。

文

2006年、コラード・ルスティッチの2ndアルバム『Deconstruction of a Postemodern Musician』より「Eros」。
色で例えると黒、そしてノスタルジックなメロディーにも聴こえ、何とも言えない感覚に陥る…
その感覚が エ・ロ・ス なのでしょうか…
コレ聴け!

When You Call My Name の感想は?

では最後に、皆さんに1番聴いてもらいたかった曲を紹介します。ノヴァ解散後、スタジオミュージシャンやプロデューサー業の中で多くの音楽関係者や色々な音楽に携わり、いわばコラードの中で熟成されたものが、どんな芳醇な音を出すのか興味ありませんか? そんな初出しの曲を紹介します。多分想像と違うと思います。先ほどの「Eros」とも違います。多くは語らないこととしますが、とにかく今までの軌跡が凝縮されており、あちらこちらでコラードが飛び出します。ややもすると、こういう曲は軽んじられ、良さを見出すことができないかもしれませんが、ごってごてのイタリアン・プログレをやっていた人がこういうタイプの曲をさらりとやってのけ、しかもダントツに優れていると思うのです。悲しいかなリスナーの耳に運ばれていませんが… 最もコラードにしてみれば、セールス的な成功よりも自分の力を試したかっただけなのでしょうけど。

文

1995年、コラード・ルスティッチのデビューアルバム『The Heartist』より「When You Call My Name」。
ノヴァ時代の個性的なボーカルとは一変し、渋い声が魅力的。
どこを切り抜いてもカッコイイ曲です。
コレ聴け!

どうでしたか?まさか、ハードロック(メロハーもしくはヘビーメタル)とは思わなかったですか? 1回聴いただけでは気が付かなかったかもしれませんが、実はノヴァ以降での彼のアレンジやギターの特徴が随所に現れているのです。だから、そのことを知っている者は嬉しくてにやけてしまうのです。ハードロックは他に多くの名曲が存在しますが、こういうのが特別感があって愛着といか得も言われぬ悦びがあり一線を引いて聴いてしまいます。例えば、オープニングのギターのアルペジオ、全楽器が入る鋭いブレイクが特徴的です。また、ギターの音色、フレーズ、奏法もそうです。全体の構成は特に変わった感じはしなかったかもしれませんが、起承転結があるよに思いませんか? プログレなんかは、時間制限もないし曲構成の縛りもありませんので、大上段に構えて雰囲気を存分に出すことができますが、こういうタイプの曲は、ある程度は一般的な様式に当てはめてタイトに、しかもさりげなく仕上げなければなりませんよね。そんな制約の中でストーリー展開させるのは簡単なことではないと思います。途中のギターソロをもう1回聴いてもらいたいのですが、かなり練られた作りになっています。サビ終わりから決して止まることなく、流れるように雰囲気を一変させるようなギターが入り、色々な奏法を重ねながらメロディー展開していき、やっぱり止まることなく次のサビへつなげていきます。素晴らしい!! 全体のリズムも気持ちいいですね。これこそ、上品でダイナミックで洗練された “コラード流ハードロック” です。

コラードのルーツ、イタリアの旅はいかがだったでしょうか?
「初めて聴いたけど、どの曲も好きです。」という人がいたら、それは大変珍しいことで奇跡に近いことです。プログレならプログレ、フュージョンならフュージョン、メタルならメタルでなければ聴く耳を持たない、クロスオーバー的というか中途半端なジャンルは馴染みにくいのが現状のようです。でも、気に入ってくれる人が一人でも増えることを願っています。

グラッツィエ ミッレ Grazie mille.本当にありがとう
アルヴェデルチ Arrivederci.また会いましょう

資料

2021年、兄のダニーロ・ルスティッチさんは新型コロナウイルス感染で亡くなられていたようです。ご冥福をお祈りいたします。

※参考 :
アルバムライナーノーツ/オザンナ、チッタ・フロンターレ、ウーノ、ノヴァ、ルーナ、コラード・ルスティッチ
書籍/イタリアン・プログレッシヴ・ロック総合ガイド、イタリアン・ロック集成、ユーロ・ロック集成