文

元ちとせさんの4thシングル「千の夜と千の昼」が何故ミラクル発見なのかを
彼女の故郷奄美大島のシマ唄を通して考えたことを盛込みながら
この歌の良さを詳しく説明していきますね。

何の為に?

YouTube動画はじめました。

このブログは、そもそも時代の流れに負けて消えていきそうな名曲をとりあげて後継していくというミッションで、超レアな名曲はYouTubeになかったり、あってもバージョン違いだったり、複数ある場合の選定に手間がかかったり…等々の理由で自分で創ることを始めました。いわゆる”ユーチューバー”ではありません、私にはそんな能力はないので。チャンネル開設には、特にお金も要らないし、審査もないし、思ったよりかなり簡単でした。しかも、パソコンに標準装備されている「ビデオエディタ」で簡単に楽しく動画作成することもでき充実しています。今年のGWに今までの動画をリニューアルすることもできました。楽しくて仕方ない動画作成ですが、本業のブログの方がおろそかにならないよう気を付けたいと思います。

「ワダツミの木」復活

元ちとせ(素人級の呼び方ですね)の楽曲の中では、群を抜いて一番の曲がこの「千の夜と千の昼」と思っていたのですが、いやいや世間の評価はそうではなさそうでした。そういう理由で選定したのですが、ブログ作成の準備をしている際に、自分の中では2位だったはずのデビューシングル「ワダツミの木」が肩を並べて復活してきたので、吟味する時間を作る必要性も感じ、今回も複数紹介したいと思います。

 

わざと普通に歌ってみました。

「千の夜と千の昼」サビ部分『せーんのーよーるとー、せんのひるをこーえてー…』と「ワダツミの木」のサビ部分『ほーしもーないーくーらやみでー、さまようーふたーりがうーたうーうたーあ…』をわざと普通に歌ってみました。いつもエセ奄美シマ唄風に口ずさんでいるせいか、これがなかなか普通に歌えず難しい実験でとなりました。

何でこんな信頼性の少ない実験をやったのか、後々説明していきたいと思います。

“元ちとせ”という人

グインって何?

ちとせ(もう名前の呼び捨てです)は、1979年に鹿児島県大島郡瀬戸内町(奄美大島)で3姉妹の末っ子で生まれ育つ。30世帯程度の小さな集落で男の子のように飛び回って遊んでいたおてんば娘だったそうです。

※瀬戸内町は、奄美大島の南の方です。

あっ、ここからよく出てくるシマ唄の「シマ」とは「集落」のことらしいです。幼少期には三味線を、そして小6の時からシマ唄を習い始める。シマの女性は大島紬の幡元を職業にする人が多く、シマ唄のレコードをかけながら幡を織る母親の記憶が残っているとのこと。今回初めてシマ唄をYouTubeで聴きました。特徴は、ちとせの唄を聴いたことがある人はわかることですが、時々コブシが回るんです。シマ唄ではそのコブシを「グイン」と呼ぶらしいです。色々な方の唄を聴いたのですが、さすが皆さん上手です。って私なんかがわかるものではないのでしょうけど… 中でもちとせは、少し鼻声で耳あたりが優しくて、裏声のグインが自然な感じがして好きです。フィギュアースケートのターンが前走からの流れに綺麗に乗った感じに似ています。ここからグインだ、と力んだ感じがないのです。そして、シマによって歌い方やテンポなどが異なり、細かく言えば個人個人でも異なっていいもののようです。それこそシマ唄なのです。それを大事に唄い継いでいくという昔からの伝統が何とも言えない郷愁をそそります。

YouTubeで、ちとせが登場した「情熱大陸」を確認することができた。まだ初々しいメジャーデビュー前の密着の様子だった。その中の言葉で「先祖が唄い継いだ様子は見ていないけど、その人が唄ったようには唄えないけど、自分が感じたようにはその言葉を伝えることができる。新しい音楽をやっているけど、大事に伝えようという気持ちは同じ。」とかみしめながら言っていたのが印象的だった。
翌年には、フランスでのレコーディングを経験している。というのは、世界的にも有名なワールドミュージックの先駆者ディープ・フォレストDEEP FORESTエリック・ムーケEric Mouquet が、偶然ちとせのシマ唄を聴き、その歌声に魅了されて曲を作っていたのだ。そのレコーディングの様子が流れたのだが、歌に対するプロフェッショナルな様子が、普段魅せる田舎娘のような無垢な感じの様子とのギャップでより際立った。かっこよかった。

高3の時は1㎜も…

シマ唄の才能があり毎年賞をとっていたが、18歳にして最年少で奄美民謡大賞を受賞した。その際は、多くのレコード会社からスカウトを受けたそうですが、母親の采配もあり全て断ったそう。ちとせ自身も特に野心もなかった様子で、漠然とではあるが「島からは出ない」と思っていたらしい。そんな中、一度は島から離れて生活した方がよいという母の方針で、卒業後18歳で美容師を目指し大阪へ行く。

しかし、2年頑張ったがパーマ液アレルギーのため美容師の道をあきらめなければならなくなった。アパートで地元へ帰る荷造りをしていたところ、日記の間から以前もらっていたレコード会社の方の名刺が落ちてきた。ここからは、まるでドラマのような展開で、架空の事務所である可能性もおおいにあり確認する意味もこめて連絡をしてみた。その結果は…

「今すぐ、東京に来てほしい」

客観的に聞いていると、恋の予感がムンムンする月9のドラマのようですよね。まあ、実際は恋とかそんなんではないですが、サクセスストーリーの始まりですね。高3の時には、島から出ることなど1㎜も考えていなかったはずのちとせが、自分の意志で歌の道へ進もうと思った瞬間かもしれないですね。最後に参考文献として掲載しますが、デビュー前のエピソードなど詳しく紹介された記事がありましたので、是非お立寄りください。(ニックネーム「tomo333」)

以降は、華々しいデビューとともに絶大な反響を得、今に至る。(何と簡単な説明?!)

私とはいっこも似てない

私と似ていない、その1
才能があるにも関わらず、その才能は大切なものとして大事にし、決してガツガツした野心的な考えを持たないピュアで善良な人には、神様がついているのでしょうね。歌を唄うことが一番好きだ、と気づいた時にその助けになる環境が整っているのだ。
私と似ていない、その2
自然や平和・反戦をテーマにした活動も多く、シマ唄を大切にしており、決して楽曲主義ではない様子がうかがえる。歌唱法からくるイメージも大きいのかもしれないが、メッセージ性が強くて使命感にかられて歌っているというか、選ばれた人のように見えてしまう。神々しい感じがする。
私と似ていない、その3
趣味は相撲観戦。

以上が、私のいだいた”元ちとせ”という人物像です。
私とはいっこも似てません、だからわかるんです。

これまでの功績

ディスコグラフィー

インディーズレーベルより、アルバム民謡(2)、アルバムポップス(2)。
メジャーレーベルより、シングル(11)、アルバム(9)、その他。

2002年のリリースの1stシングル「ワダツミの木」は、2か月後シングルチャート1位獲得。2002年の新人歌手の中で最大のヒット曲となる。同年1stアルバム「ハイヌミカゼ」は2週連続でチャート1位、日本レコード大賞でベストアルバム賞を受賞することとなる。3rdアルバム「この街」はNHKの朝ドラ「まんてん」の主題歌に起用され多くの人に親しまれる。そして、「千の夜と千の昼」が収録されている2ndアルバム「ノマド・ソウル」もアルバムチャートで1位を獲得している。以降も、結婚・出産・子育てなどの期間はコントロールしながら精力的な活動を行っている。

「福耳」「お中元」

ソロ以外の活動をしていたことを全く知らなかったのですが、「福耳」というグループにも所属しています。ちとせは、オフィスオーガスタという事務所に所属しているのですが、同所属のアーティスト杏子山崎まさよしスキマスイッチ秦基博 他数名で組んでいるスペシャルユニットで、「星のかけらを探しに行こうagain」「惑星タイマー」など数枚シングルもリリースしています。

また、ちとせに続いてシマ唄の唄える同郷の歌手がゾクゾクと現れているのだが、その中の一人で、「花」でロングヒットを記録した中孝介(あたりこうすけ)という後輩がいる。彼は、幼い頃ちとせのシマ唄を聴きちとせを目指して独学で唄っていたというだけあって、ちとせの母親が地元で彼の唄を聴いて驚き、すぐにちとせを帰郷させてびっくりさせたというエピソードがある。
ちとせには、当初からシマ唄だけを集めたアルバムを残したいという夢があったが、一番いい唄を残すことを考えたら30代の時だったそうで、歌い方、三味線の入り方など阿吽の呼吸の中君に手伝ってもらってアルバム「元唄(はじめうた)~元ちとせ奄美シマ唄集~」を制作した。後世に唄い継ぐべく、生活に根ざしたかつてのシマ唄が表現されているらしい。ちなみに、中君と活動する時は「お中元」というユニット名になるらしいです。

近年は、奄美大島を世界自然遺産登録を目指し、島出身の唄者で「唄島プロジェクト」を組んで世界へ発信しているらしいです。

 

共作のクレジットも多い

共作も沢山あるのだが、一つ紹介すると、上記「元唄(はじめうた)~元ちとせ奄美シマ唄集~」の次のフェーズ版として「元唄 幽玄~元ちとせ奄美シマ唄REMIX~」というのが、アナログレコードと配信サービスで提供されている。これは、前者シマ唄集の各曲を国内外の有名アーティストがリミックスして違う表情に創り変えたもだ。坂本龍一の「渡しゃ」という曲をYouTubeで見ることができたのですが、映像込みで素晴らしかったです。幻想的で映画の一シーンを見ているような印象でした。

 

ワダツミの木の感想

クレジット

2002年、メジャーデビューでの1stシングルで、1stアルバム「ハイヌミカゼ」に収録。

作詞・作曲・編曲/上田 現

エピソード

現さんが数年前に亡くなったということは、ちとせのYouTubeを見る度に、多くのファンがコメント欄に現さんを偲ぶ言葉を投稿しており知っていましたが、「有名な先生だったんだ」「作曲家まで把握しているファン層もすごいなあ」と思っていました。
以前はそれ以上探求する体質ではなかったので、彼がどんな人か知りませんでした。今回調べてみて、なるほど、1987年にメジャーデビューした「レピッシュ」というロックバンドのメンバーだったんだ、納得。キーボード、サックス、作詞作曲を担当していた有名人だったんですね。残念ながら2008年に肺癌で亡くなられたようです。

ブログ管理者のニックネーム「tomo333」さんの記事によると、ちとせがこの曲を現さんから渡される時に貴重な絵を見せてもらったらしいです。この曲のイメージだと思います。『海から空に向かって一本の木が伸びていた。力強いものなのか、はかないものなのか分からない絵で、海の対岸にフワフワした光が浮かび、淡い、本当に淡いピンクを全体に散りばめた、まるで水墨画のような絵でした』と語っていました。散りばめていたのはきっと花だよね、そうか…花はピンクだったんだ、動画作成の際、直感的にピンクの花にしていたけど、歌詞は「映る赤い花の島」だったので赤に変更したんだよなあ~、ん~残念、だけど現さんのイメージは私には届いていたので満足!!

実験結果

初めてこの曲を聴いた時、歌も素晴らしいし、私には珍しく歌詞にも感動したんです。そんなこんなで浮かれていた時に、夫は「声が途切れた感じに聞こえる」「間違えように聞こえる」と言ったんです。最初は、「ケチつけやがって」「この歌唱力がわからんのか」と思ってみたものの、確かに、もう少しグインを抑えて、ここぞという時に出すのがいいのかも…とも思ってました。それと、声も伸びるので普通に歌うちとせの歌も聴いてみたかったりします。

そこで、お粗末ながら自分で実験をした訳ですが、普通に素直に歌うと、ミュージカルやアニソンになってしまいました。また、今風に言葉を小分けに切りながら歌うと、これはまあまあかな、という印象ですが、オンリーワンにはなり得ません。何より、神々しさが出ないですね。

結果、唄い継がれた歌唱法だからこそ、歌詞と曲を掛け合わせることによりミラクルが起きて神々しくなっていたのでした。その証拠に、仮に神聖な場所で唄ったとしても場違いな感じがしなくないですか?

聴きどころ

聴きどころは、やはり歌詞と曲、そしてミラクルを起こしている唄、そしてそして、楽曲で私が最も大事にしている曲調にブラスの入ったレゲエのリズムを採用しているところです。悲しく儚い恋愛歌に少しパンチの効いた素材を取入れる行為、憎いですね。サビに向けてドラマティックにストーリーが進んで行きます。著作権の関連で全体的に歌詞を紹介するわけにはいきませんが、内容をかいつまんでまとめると、海に流されたカップルが離れ離れになりそうな状況で、女性の方が自分の居場所をはっきりさせるために、日本神話に登場する海の神”ワダツミ”の木になるという感じです。私の好きな歌詞は『ここにいるよ、あなたが探さぬよう』です。

試聴

文

元ちとせさんの1stシングル「ワダツミの木」
ミラクルが起きる様子を映像ととも…
コレ聴け!

千の夜と千の昼の感想

クレジット

2003年、4thシングルで、2ndアルバム「ノマド・ソウル」に収録。

作詞・作曲・編曲/上田 現

聴きどころ

この曲に出会うまでは断然「ワダツミの木」だった。しかし「千の夜と千の昼」を聴いてからは順位が変わってしまった。歌の内容が強烈だったし、Aメロが一筋縄では理解できず歌えなかったこと、サビの高音が畳みかけてきて気持ちいいがのが特徴。内容を簡単に説明すると、何らかの理由で最愛なる人が亡くなっており、いくら弔っても成仏できないでいる。色々手を尽くし、最後に海の青色を混ぜた銀の傘をお供えしたら右手にさして成仏して逝ったという風に理解している。千の夜と千の昼だから約3年ですね。違う見方をすると、残された者が約3年間、気持ちの上で喪に服していたとも言える。Aメロの歌いまわしの難しいところは、悶々とした状況が表現されているように思う。そして、伸びやかなサビはクライマックスで本当の意味での別れ、出発が表現されている。私の好きな歌詞は、最初の部分の『失くした羽を探し続けても、もうどこにもないんだよ。あなたが時間を止めてしまっても、ねえ星は動いている』と、傘にまつわる部分です。

試聴

文

元ちとせさんの4thシングル「千の夜と千の昼」
こちらもミラクルが起きる様子を映像ととも…
コレ聴け!

ブログを書くようになってウィキペディアを活用することが大変多くなりました。なんと、今回初めて寄付しました。閲覧していたら突然勧誘があり、スルーするわけにはいかなず寄付に至ったのですが、無料で活用し続けている自分を想像するとそっちの方が怖かったです。寄付後は、寄付したということを皆に伝えてください、ということだったので、この場をお借りして発表します。恥ずかしいので金額は言えませんが…

そして、最後に上田現さん、ご冥福をお祈り申し上げます。素敵な曲を残してくださりありがとうございます。

※参考 : フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
元ちとせオフィシャルウェブサイト
ニックネーム「tomo333」さんブログ