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五輪真弓のデビューシングル純度100%の後世に残る名曲「少女」
なぜ”純度100%”なかを丁寧に紹介していきますね。

クレジット

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1972年 1stシングル(アルバム『少女』に収録)

作詞/作曲 五輪真弓

プロデュース ジョン・フィッシュバックJohn Fischbach

レコーディング アメリカ

ジャンル フォーク/ポップス/ロック

キャロル・キング他、豪華アーティスト

演奏
ピアノ キャロル・キングCarole King
ベース チャールズ・ラーキーCharles Larkey
ギター 五輪真弓
ハープシコード ローレン・ニューカークLoren Newkirk
ドラム バグス・ペンバートンBugs Pemberton

真弓さんの歩み

真弓さんの”少女”時代

今回は、真弓さんの公式サイトに経歴やインタビュー、エッセイ等があり、真弓さんの真実に近い情報を得ることができました。そちらのサイト情報を元に感想や憶測を述べていきたいと思います。

1951年、東京の地で音楽好きな大工の父と天真爛漫な母のもと、姉、兄そして真弓ちゃんの順番で生まれた。無口で恥ずかしがりやではあったが、怖いもの知らずな好奇心旺盛な子で、興味を持つととことん追求していく行動が周囲からは不思議な行動だったりしたそう。しかし、その興味が音楽の方へ向いて一件落着となる。年子の兄とも兄弟のように(弟のように)よく喧嘩をしたそうだ。

父親は大工さんだが、音楽好きでいつも浪曲がかかっており、子守唄にもなったらしい。そして、ギター、アコーディオン、バイオリン、笛等をたしなんでいた。兄はビクターの少年合唱団からスカウトを受けたり、フルートを全校生徒の前で披露する、そして以降のことだが真弓ちゃんがギターを持たせてもらうなど、話しだけ聞くといかにもお嬢様的な印象を持つと思われますが、そうではないのだということを公言したく、サイトの随所で面白おかしく生活の様子を表現されていた。

真弓さんの学生時代

高一の時、卒業生の送別会として友達10人ぐらいで歌を歌う事になったのだが、ソロに抜擢されて全校生徒の前で歌った。その時歌ったのがジョーン・バエズJoan Baezの「ドナドナ」だ。そして、高二になり同級生の友達と「ファンシーフリーシンガーズ」というフォークデュオを結成し、洋楽のコピーをしていた。高三の時、朝のテレビ番組にとりあげられ、PPM(Peater,Paule&Mary)のHully Sundownを歌った。

高校卒業後は、やりたいことがわからなかったので、英語が得意だったことからYMCA英語学校へ入学したものの、半年後退学して音楽活動を始める。

真弓さんの音楽人生の始まり

1970年19歳の時、銀座で弾き語りのアルバイト、その後渋谷の小劇場ジァンジァンで演奏したり、米軍キャンプで「テネシーワルツ」などを歌っていた。また、フォーク音楽界の登竜門と言われるニッポン放送の「バイタリス・フォーク・ビレッジ」のオーディションに合格した。出身者には、ビリーバンバン森山良子吉田拓郎泉谷しげる井上陽水荒井由実松任谷正隆、他多数の有名人がいる。その頃の真弓ちゃんのレパートリーは、ジョニ・ミッチェルJoni Mitchellの「青春の光と影」「ウッドストック」などだった。

どのタイミングの時かは断定できないのですが、このように洋楽のコピーばかり演奏しており、ある日スーパマーケットで歌った時に、お客さんにとって英語がチンプンカンプンだということがわかった。それを機に自作を始めることとなったらしいです。興味を持ったらまっしぐら、という幼少期からの癖が出ていたのでしょうね。私も、洋楽のコピーから始めていたので気持ちはよくわかります。私の場合、仮に誰かにアドバイスを受けていたとしても、ほとぼりが冷めるまでやらなければ聞く耳を持たなかったと思います。若い時はそんなもののように思えて共感でき、親近感も芽生えています。真弓さんは、自分でそのことがわかり一歩成長と同時に五輪真弓サクセスストーリーが始まったわけですね。

真弓さんの音楽人生

書き溜めていた楽曲のレコーディングはどうしてもアメリカでやりたかった。若干21歳の初めてのプロ入りと同時にレコーディング、しかもアメリカ、凄い発想と勇気ですね。やっばり、幼少期の真弓ちゃん健在なのでしょう。そういうエネルギッシュな勢いは結果を出すもので希望は叶い、しかも真弓さんの曲を絶賛のもと、有名な音楽家たちと一緒に仕事をすることとなる。その中には憧れのキャロル・キングも存在するのだ。そして、たまたまヴィオラ奏者としてご一緒していたデビッド・キャンベルDavid Campbellには、以降アレンジャーとして長くお付き合いすることとなる。そして、CBSソニーよりデビューシングル・アルバム『少女』がリリースされる。アルバム売上げにも貢献し、海外レコーディングを商業的に成功させた先駆者としての影響力は大きく、吉田拓郎と同じように、個人レーベル「UMI」を持たせてもらえる運びとなった。

順調にアメリカでのレコーディングを続け、1975年4thアルバム『MAUIMITY/うつろな愛』を発表したのだが、翌年フランスのCBSレコードが絶賛し、1977年にはCBSフランスでフランス語のアルバム『MAUIMI』をヨーロッパ数か国で発表。そして、パリ・オリンピア劇場に「雪が降る」で有名なアダモのコンサートゲストとして出演した。同年、フランス語と日本語のアルバム『エトランゼ』を発表するのだが、この中にフランス語の「少女」が収録されています。実は、今までその存在を知りませんでした。どうしても聴きたくて入手したところ、想像を遥かに超えて素敵でしたのでこちらも試聴してもらおうと準備しています。

以降、かなり、はしょった説明になりますが、コンサートやドラマ・CMの曲制作、他のアーティストへの曲提供をはさみながらアルバム制作を続け、インドネシア、香港などにも多大な影響を与えるようになる。言い換えると、作品を通じて真弓さんが発信したものが、世界の知らない国で成長しているような感じだ。インドネシアで育った「KOKORO NO TOMO」なんかは、国家の次に位置する歌にまで成長しているらしい。そして、そういう一つ一つの出会いをきっかけに交流も深め、世界的なアーティストになってしまっていた。真弓さんにとって、自分が作ったものが成長することは、コンサートで注目を浴びて歌ってる時よりも、涙がでるぐらい嬉しいことだと想像します。そして、近年まで音楽活動は続けているようだ。

言い忘れていました。これは当時生まれていた日本人なら大抵の人が知っている、大ヒットして日本レコード大賞を受賞した「恋人よ」のことです。レコーディングはフランス、1980年18thシングル、9thアルバムとなります。15歳の私の音楽の源はテレビオンリーでしたので、本当によく聞いた曲です。
そこで1980年頃にヒットした音楽を調べてみました。

異邦人/久保田早紀 舟歌/八代亜紀 贈る言葉/海援隊 大阪しぐれ/都はるみ さよならの向こう側/山口百恵 青い珊瑚礁/松田聖子 さよなら/オフコース かえってこいよ/松村和子 別れても好きな人/ロス・インディオス&シルヴィア ダンシング・オールナイト/もんた&ブラザーズ ランナウェイ/シャネルズ 関白宣言/さだまさし 大都会/クリスタルキング おもいで酒/小林幸子 TOKIO/沢田研二 RIDE ON TIME/山下達郎 パープルタウン/八神純子 哀愁でいと/田原俊彦 SACHIKO/ばんばひろふみ 不思議なピーチパイ/竹内まりや セクシーナイト/三原順子 春 ラ!ラ!ラ!/石野真子 ヤング・ボーイ/河合奈保子 いまのキミはピカピカに光って/佐藤哲夫 そして、恋人よ/五輪真弓

当時の真弓さんの印象は、私が求めていた曲調とは違っており、落ち着いた大人の人のイメージ。そして、私15歳のお子ちゃまでも何となく「テレビ界の人ではない雰囲気」は感じていた。だから、いい曲だとは思っていたけど自分にとっての旬ではなかった。最近夫から「少女」を紹介されて魅了されたのがきっかけとなり、こうして真弓さんのことを根掘り葉掘り調べることにより真弓さんの人柄を知ることができた。夫に感謝です。さもなければ、五輪真弓はただのセンター分けワンレンロングの暗い女性の印象で終わるところでした。
良くも悪くも「恋人よ」は、五輪真弓と言えば「恋人よ」と言うぐらい知名度の高い曲です。

真弓さんの”恋人よ”

では、真弓さんの私生活のパートナーはいるのでしょうか?

勿論います、とても素晴らしいご主人が。1983年に仕事を通じて出会った年下の鈴木宏二さんという方です。思いもよらない発想をする楽しい方で、それからずっと一緒に居るということです。元々ピアニストであるが、現在は真弓さんのマネージメント、ステージ演出、レコーディング制作を行っており、誰よりも曲を理解している人物らしい。ちなみにお子さんもいらっしゃいます。家族が増えるごとに人間力がアップして益々人生を楽しんでいるように見受けられます。

真弓さんという人

音楽への基本姿勢は”純度100%”

先述しましたが、真弓さんの第一印象は暗い女性でしたが、公式サイトを覗かせてもらってから真逆の印象に変わりました。そして、憧れに近い素敵な女性に変わり、自分を顧みるぐらい衝撃を受けたので紹介したいと思います。

デビューしてLPが売れ、ファンレターが届いたりする現実に直面した際、自分の外側がメジャーになることにより、知らないところで聴かれている事に警戒心が芽生えるようになる。逆に内側は中へ中へ入っいったため、作曲の精神状態としたら良い方向へはたらいたらしいです。その続きの言葉を抜粋します。

売れることが目的ではなかったので、スターになりたいとか、誰かを見下したいとかなくて、自分を発見したいという純粋な気持ちからスタートしましたから、びっくりしたんですね、ヒットということに。巻き込まれちゃいけない、華やかなところ明るいところには色々なものが集まってきますから、それに巻き込まれないというようなことから、結果的にはインタビューでも安易なことはやらなかったわけです。有名になりたい、売れたいということだったらそのレールに乗ってっちゃったと思うのですけど。そういう自分の意識がエネルギーを貯えていたんだと思います。

多分、音楽に限らないことだと思うのですが、決して驕(おご)った気持ちを持たない、というより大好きな音楽のこととなると、不純な気持ちを一切持たないということです。「当時アルバム曲、シングル曲の区別があったのですか?」というインタビューの答えが面白かったので、再びその答えを抜粋します。

ないなあ、そんなの最初からあったら気持ち悪いですよねえ。そんな計算はないので、とにかくインスピレーションだけで、不器用なんです。

また、「恋人よが大ヒットしたというのは、作った側から見るとどういう感じがしているんですか?」とうインタビューの答えが上記に関連して面白かったので抜粋します。

文句なく「うれしい」ですね。別に誰かが仕組んだことでもなく、他の誰かが書いたものでもなく、ものすごく自然発生的だったから。もし作品のなかに「作為」が込められていたとしたら、自分が何かしら、あまりいい気持ちがしなかったと思う
完成度の高い曲ができた時は、私は至福ともいえる解放感を味わうと同時に、それが翼をたずさえて飛び立っていくような感じがします。世に送り出してからは自分だけのものではなくなり、さまざまな体験や感受性をもつ人々によって、曲はそれぞれの色に変わります。音楽は、その持主が不在になる時に本当の姿を見せる。勿論、宣伝文句もいらない。音楽はそれほどに生き物であり、そこに入口があれば水のように簡単に入って行って、悲嘆や虚しさで傷つき穴だらけになった心を修復しにやってきてくれます。時代にとらわれない長寿の歌、それはいつも私が目指しています

賢くて、ほがらかで、素敵な女性

インタビューでの受答え方でもわかると思いますが、文章、使用する言葉、内容から人となりが読み取れるほどに表現力の高さを感じます。正に対局にいる私なのでよーくわかります。私の場合、このブログからもわかるように「作為」の塊です。内容の性質上、「この曲がいいですよ」と紹介する時には、どうしても「じゃない曲」を意識して間接的にディスった表現をガンガンしています。皆さんに親近感を感じてもらえるような文体を心掛けているのですが、やっぱり真弓さんのように賢くてほがらかで素敵な女性感は、出そうとして出るものではないようです。だから、とても憧れてしまうのです。名曲に関しての真弓さんの考え方の記事がありましたので抜粋しますが、私だと、やっぱり敵を作る言い方になってしまいますね。

世界的に見ても日本も含めて名曲が生まれていないんじゃないかな。それを感じ始めたのはいつからか… 最近ではないですね。もっと前からです。人々の波長に合うように作られた曲はいっぱいあるわけです。それは、その時その時のもので、後に残っていかないわけですね。どれを聞いても同じというか、誰かが人気があるというのは、それを人々が聞いているから人気が出ているんでしょうけど、何が彼らを聞かせているかというと、やっぱり、それぞれが人々の波長に合っているからだろう。客観的に見た場合は、一個の曲として成立ちにくいんじゃないか。完成された曲というのは、その時代だけの歌ではないから。いつまでも残っていくものですから。
-中略- やっぱりそういった名曲を作りたいですね。いつまでも曲が独り歩きするような、私がいない所でも、いつのまにか聞かれているような、国境を越えてどこまでも行ってしまうような…

全部書き写すわけにはいかないので、是非真弓さんの公式サイトをチェックしてみてくださいね。

「少女」の感想

学生運動の匂いのする音

主人からは、以前より「五輪真弓の少女がいいよ」とは促されていたが聴いていなかった。しかし、このブログが「昭和」「平成」「令和」「洋楽」と分けている関係で「昭和」の名曲リストを作る際に聴いてみた。初めて聴いた時♪悲しそうに見ていたの♬のメロディーが出た瞬間、どう説明していいかわからないぐらい衝撃を受けました。チクッと刺さる感じ?全体のムードは、私が生まれる前の体感していない世相も知らない時代の”学生運動”の気配を感じました。どこがそう感じさせるのか確信はないのですが、夫も全く同じ印象なので我々夫婦だけの印象ではないと思います。テレビで流される学生運動の映像(白黒~セピア色)と曲の雰囲気がつながるものがあるのでしょうか。皆さんはどのように感じますか?少し後に発表された、カルメン・マキ&OZの「六月の詩」や「私は風」も”学生運動”の気配を感じます。特に「六月の詩」は「少女」に似ている部分もあったので、作曲家のルーツも調べたかったのですが取り留めがなくなりそうなので止めました。大変マイナーになるかもしれませんが、太田裕美のデビューアルバムに収録されている「雨の予感」という曲も”学生運動”の気配を感じます。この曲も名曲ですので機会がありば聴いてみてください。

戻りますが、そういう”学生運動”の時代背景を感じるムードで始まるやいなや♪悲しそうに見ていたの♬が突然くるので刺さってしまうのです。これって日本人独特の感受性なのでしょうか。海外の人が聴くと違うイメージだと思うと面白いですね。余談ですが、テレビ番組で”風鈴”の音で体温が下がるかどうかを日本人と外国人で比べたところ、確か日本人は体温が下がったという記憶があるのですが… 正に真弓さんが言っていた『世に送り出してからは自分だけのものではなくなり、さまざまな体験や感受性をもつ人々によって、曲はそれぞれの色に変わります。』ですね。

歌がうまい!

公式サイトの中で、作曲したので自分が歌っているいるだけ…というようなことが書かれていたけど、色々聴いていると上手いのがわかりました。YouTubeに、当時のテレビ番組で二人の歌手がお互いの曲を歌い合うという企画があったのだが、どの高さの音も安定した声を出されており、すごみを感じました。また歌うまを確定したのは、追加したアルバム『エトランゼ』のフランス語の「少女」を聴いた時です。プロデュースの違いもありますが、こんな感じにも歌えて、しかも奇麗な声で(パチパチ)
オリジナルの次に試聴してもらうのでお楽しみに!!

試聴

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それでは、まずはオリジナルの「少女」
コレ聴け!

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続いて、フランス語バージョンの「少女」
コレ聴け!

最後に、私は少女を通じてにわかに好きになったのですが、当時から真弓さんの曲のファンだった方にも拍手を送りたいと思います!!!

※参考 : フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
五輪真弓オフィシャルウェブサイト