釣書(つりがき)
文です。
田舎に住んでいる1965年生まれの女の子です???
夫と二人暮らしで、猫3匹、リクガメ1頭飼っています。
体形はミニモニ。ぐらいで… リクガメではなく私のプロフィールですよ!
顔は下の上ぐらい…かな。このイラストと瓜二つです。
性格は基本前向き、恰好つける方、神経質、自己中心的、八方美人、気を遣う方だけど人並み程度しか配慮できていないかも… 好きなところは前向きなところぐらいです。
好きな色は青と黄色、昔だったら絶対選ばなかった色、最近の私はおかしいと思う。
現在エクステリアプランナーとして図面作成の仕事をしています。
中学から高校までは演劇部に所属し、短大では洋楽のコピーバンドで楽しんでいました。
社会人になってからは社会人バンドに入り、色々な音楽に出会える機会を得ました。
合間に、リクガメ、ボーリング、映画、プラモデルにも興味を持ち、「そこまでやるか?!」というぐらい熱中しました。
現在2021年は、世界的に蔓延したウィルスの影響でバンド活動も休止していて、ブログという趣味にたどり着きました。
ご趣味は?
私の内面と言いますか、どんなものに心を動かされるかを推測してもらうために、作品として素晴らしいと感じたものを紹介します。
「空を飛ぶ夢」「みんなの家」「アザーズ」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「カメラを止めるな!」「ブレードランナー(1982年)」「リード・マイ・リップス」「ガタカ」「嵐が丘(ジュリエット・ピノシェ主演)」「フォーン・ブース」「偉人たちとの夏」「砂と霧の家」「ゆれる」「ショーシャンクの空に」「キャスト・アウェイ」「トーク・トゥ・ハー」「8日目の蝉」「アウト」「黒い家」「アンドリュー」「ジャスティス」「ロード・オブ・ザ・リング」「半落ち」「シックス・センス」「戦火の勇気」「この森で、天使はバスを降りた」「オープン・ユア・アイズ」「ディープ・インパクト」「ミザリー」「きみに読む物語」「電車男」「マシニスト」「チェルノブイリ-CHERNOBYL-」
次に歴代好きなテレビ番組を紹介します。
「大改造!!劇的ビフォーアフター」「ビューティーコロシアム」「恋のから騒ぎ」「ねるとん紅鯨団」「ロンドンハーツ」「踊るさんま御殿」「TEPPEN」「スター誕生!」「お笑いマンガ道場」「欽ドン!良い子悪い子普通の子」「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」「水10」「ズバリ言うわよ!」「オーラの泉」「しくじり先生俺みたいになるな!!」「アウト×デラックス」「探偵!ナイトスクープ」
リクガメにも興味を持ち数頭飼いましたが、環境を整えても上手くいかずほとんど死なせてしまいました。現在、30㎝のヒョウモンリクガメを夏は屋外、冬は室内で飼っています。
「ケヅメリクガメ」「ホルスフィールドリクガメ」「パンケーキリクガメ」「ホシガメ」「ヒョウモンリクガメ」「ギリシャリクガメ」「テレストリスギリシャリクガメ」
調子にのってリクガメのことまで書いてしまいましたが、私の内面を知っていただくのには関係なかったですね。
こんな環境で音楽を聴いています。(準備中)
こんな環境で仕事をしています。(準備中)
もう少し詳しく?
幅広い音楽を聴けることへの誇り
音楽との関係(小学校)
小学校の頃は、森昌子、桜田淳子、山口百恵の “花の中三トリオ” がブームで、私は山口百恵が好きで勝手に桜田淳子をライバル視していました。赤いシリーズや映画もすべて見ました。好きな歌は、アルバム『百恵白書』の「お菓子職人」~「ボーイッシュ・ベイビー」でよく歌っていました。
その頃から芸能界には興味があり、階段の一番上の踊り場をステージに見立てて歌っていました。当時ヒットした歌謡曲や演歌はよく知っています。
音楽との関係(中学校~短大)
中学になって、テレビで流れていたノーランズThe Nolansの「ダンシング・シスター」が心地よく、洋楽が好きにるきっかけになったと思います。その頃は、自分で洋楽にアプローチする術を知らないため、アイドル雑誌の「明星」や「平凡」を買い、その付録の歌本の洋楽ページの楽譜を確認して「これコマーシャルで聴いたことのあるやつだ」という感じで後でアーティストや曲名を知るという具合でした。
高校に入ってからは、田舎に住んでいると都会のデパートで流行りの洋楽が流れる、というような環境もなく、専らラジカセ(ラジオカセットレコーダー)が情報源でした。「クロスオーバーイレブン」という番組がお気に入りで、未知のジャンルが入り乱れた洋楽が多く、お宝探しの大冒険と少し不良をしているような感覚でワクワクドキドキしながら聴いていました。最終的にはラジオのノイズ音も録音したりして…ここまでやったら異常ですね。そんな感じで友達と音楽の話しをすることもなく、というかその頃は友達と音楽の話しをするという方法が全く浮かばず、一人で愉しむものだと思っていた、のではなく、意識しないままにそうしてましたね。
もう一つの愉しみ方が、Wラジカセで、統一性のないジャンル入り交じりの自分だけのベストコレクションをカセットテープに収録することです。作る時と同様に愉しいのが、あたかも初めて聴くかのように頭を真っ白にしてリスナーの気分で聴くことです。次の曲が始まった瞬間の感動を得たいがためです。
そして、高校の体育の創作ダンスの曲、演劇部でのBGM、短大のアマチュアバンドでのコピー曲にも使ってました。勿論、英語がわからないため歌詞は二の次三の次でした。曲名がわからないため自分で付けてたり、カタカナで口ずさんでいたのもいい思い出です。
音楽との関係(社会人)
社会人になり音楽との接し方がガラっと変わりました。年上の人達と新しいバンドの立上げに加わっていく中で、仲間と音楽の話しをする喜びと、今まで大切にしていた音楽を紐解いてもらう喜び、そして未知の音楽をどんどん聴くことができる環境を得たことです。 “プログレッシヴ・ロック” というジャンルを知ったのが最大の喜びだったかもしれません。
しかし、プログレにこだわることなく色々なジャンルの曲を聴きました。何となくバカにしていたアイドルの曲や敷居の高そうなクラシックも聴きました。それもこれも、柔らかい頭と環境が良かったのだと思います。
永く続いた重大かつ悲しい錯覚
20代から40代後半までずっと思っていたことが、『何故みんないい曲をコピーしないのか?』ということです。我々は、メンバー内に尊敬するアレンジャーMがいたので自信をもってオリジナル曲を演奏していました。しかし、テクニックは置いといて、どこで披露しても今一反応が悪い。しかも、他のバンドはコピーが多いうえに、サービス精神からなのか流行りのピンとこない曲ばかりやってる。口が悪いですけど、ずーっと思ってました。また、音楽はあまり聴いてないというバンドマンがいるということには驚きました。
ここ最近は、気分を変えてコピーをやってみることにしました。数ある名曲の中からの選曲は楽しかったです。しかし、演奏後の世間の反応は…
自分なりに反省と分析をし、キャッチーなわかりやすい名曲に変更するのですが…
私がリスペクトしているMは、こういう状況は80年後半頃はすでにわかっていて、いつも嘆いていたことでした。いや嘆くというより諦めており、演奏するより鑑賞する方を求めていたようです。私としては、誰が聴いても “いい曲はいいと判断できる” と思いこんでいたので、今回ばかりは体感として実態を知ることができました。
本当に、永く続いた重大かつ悲しい錯覚です。
えっ? もっと知りたいですか?
売れる曲≠名曲
ここまで読んでもらって何ですが、音楽好きな方に対して失礼な内容なので聞きづらくありませんか?
えっ?続きを聞きたい?
では、調子にのって書き続けることとします。
ここ2~3年よく考えていたことですが、推測であって、調査したわけでも資料を集め分析したわけでもありませんが、どうして “売れる曲≠名曲” なのか?言い換えると、どうして “ヒットする曲が名曲とは限らない” のか? 何が原因・悪いということではなく、冷静に日本で私が体感したことから考察してみると、次のような内容が浮かびました。
(1)平和~幼稚化
(2)音楽用途の変化、多様化
(3)ヒト独特のもの
(4)素人とプロが近くなったこと
(5)悪循環
詳しく説明していきます。
(1)平和~幼稚化
平和は何にも代えられないぐらい大切な事です。そのことは十分わかっているうえで言うと、精神面での “自由” も現実的になりつつある今日、自立心が少なく危機管理ができない人も増えているように思います。具体的に活字にすると論争が生じるかもしれないのでざっくりと書きましたが、それを含めて自由な生き方だと言われれば返す言葉もないのですが… このことは、もう少し熟してから述べさせていただきます。すみません。
(2)音楽用途の変化、多様化
今どき、音楽の成立ちを考えても何の足しにもならないのですが、大まかに段階分けすると ①生活に欠かせないもの(宗教・祭事関連の歌等) ➁自然発生の娯楽(地域での民謡、娯楽用ライブ演奏等) ➂商業用のライブ演奏(オーケストラ、能・狂言等) ④メディア化された音楽作品(現在のスタイル) ④のメディア化された音楽作品でいうと、日本の最初のレコードは1920年代にまでさかのぼり、実にこの時代は100年にもなります。メディア自体も近年でのハイテク化はすさまじく活用しきれていない人も多いのでは?音楽の内容も100年間で大きな変化があったと思います。
<ロックを中心とした世界のHQMざっくりグラフ> ※HQM=名曲
これ、変な図でしょう。音楽の黄金期を表現したくて一応多方面から調べて作成したもので、オレンジのグラフの部分は私のイメージで意図的・作為的に書いたものです。それでも良かったら参照しながら説明を読んでください。
この100年間には、音楽用途に変化があったと思います。最初は、純粋に鑑賞用だったのではないかと思うのですが、そこにファッション性とダンスミュージックが加わることによって良い曲を見極める感性が衰退していったのではないかと思うんです。ファッション性というのは「ジャズを聴いていれば高尚な感じがする」とか「ボサノヴァを聴いていたらおしゃれな人だと思われるだろう」というように、対外的な自分の評価に音楽センスを利用したり、自分で陶酔する感じです。ダンスミュージックというのは、ダンスを盛上げる曲調に重点をおきすぎて鑑賞用の音楽から乖離してきている。私もダンスを見るのは好きなので、決してダンスミュージックを敵対視している訳ではありません。この他にも音楽用途の多様化は多岐にわたります。
先ほどの変な図で一番確認してもらいたい部分は、1960年代~1990年代の “音楽の黄金期” と「レコード」「カセットテープ」「歌謡曲」の辺りの時代が重なっていることです。黄金期時代には、海外の音楽を含め容易に聴くことができました。手段としたら、レコード、カセットテープの購入、ラジオから、有線放送から、テレビから 等々。趣味になると、レコードをカセットテーブに録音してラジカセや自動車で聴く、というスタイルになる。そして、これらをコレクションし囲まれた生活をするのも至福の時間となる。
ここで、一番言いたいことは、名曲も多いがリスナーも貪欲だったということです。近年ほど娯楽があふれていなかったのは事実ですが… 記事でもふれたことがありますが、LPレコードにも録音用のカセットテープにもA面B面(表裏)があり、録音後のカセットテープのA面を聴き終えたらB面にひっくり返してレコードのB面を聴くようにカセットテープのB面を聴くのです。今の時代には考えられない作業でしょうね。CDだと、1枚にの中に15曲前後入りますが、LPは両面合わせて10曲程度です。裏返すという作業は面倒くさいですが、そこにブレイクが入ることにより、1枚のアルバムにストーリーが生まれるのです。というか既にストーリーが組み込まれているんです。1枚通してコンセプトがある場合もあれば、それぞれの面で完結しているものもあります。片面5曲程度なので1曲1曲のポジションが頭にインプットされやすく良さも際立ちます。なので、自分の中で1曲目はこうあるべき、エンディング前の曲はこうあるべき等の理想が育まれていきます。レコードをベタに録音するのもいいですが、ジャンルごとのベストアルバムを作るのことは、自分だけのセオリーで曲選びができ実に愉しい時間でした。CDだと切れ目なく15曲続くので制作者側もコンセプトづくりに悩みますよね。
そういう感じで、名曲を丁寧に大切に聴いていたという経緯があります。
手軽に音楽を聴いたり編集のためにソフトを使用してデータ保存はしていますが、最近の若い、特に配信サービスを中心に鑑賞している人は、どういう方法でコレクションしているのでしょうか?そもそもコレクションという趣味があるのでしょうか?音楽に対する気持ちが我々ほどはないのでしょうか?我々は昔人間でダサいのでしょうか?話す機会がないのでわかりませんが、音楽好きな人はきっといますよね。母親とかが私に母親時代のことを理由に何か諭そうとしても、昔のことだと思って聞く耳を持たなかった記憶があります。だから、新しい音楽スタイルの中で生きている新世代の人たちに、いくら “黄金期、黄金期” と言っても耳をかしてくれませんよね。
変な図を作成した理由はもう一つあって、新世代の人に名曲を聴いてもらえる糸口が発見できないだろうかと思ったからです。
具体的には見つかりませんが、もっと新世代の人を知ることが大事だとことでしょうね。
(3)ヒト独特のもの
「流行りのスイーツ情報があったら何時間ならんでもゲットする。」「流行りのものは知っておかないと置いてけぼりになる。」「流行しているものがカッコよく見える。」「大勢の人がいいと言ったことは信じる。」これは、ヒトが持っている生きる上での心理なのでしょうか?
自分の感覚を信じてみませんか?
(4)素人とプロが近くなったこと
アマチュアバンドでも気軽にCD(CDR)制作することが可能になり、より良い音で自分達の作品を残すことができるようになりました。ほとんどのバンドマンの夢がプロデビューだと思いますが、自分達の作品があればレコード会社への売込みもやりやすくなります。また、配信サービスも可能となり多くの人に聴いてもらうことができ、そこからプロデビューにつながることもありますよね。
レコード会社にしてみれば、新しい原石を見つけることが容易になるし、すでに多くのファンがついているバンドであれば一石二鳥ですよね。ただ気になるのが、本当に力があるバンドなのかということと、そのままの楽曲でデビューしていいのかということです。実際のところはどうなっているのかわかりませんが、プロのアレンジャーの介入が必要ではないかと思います。場合によればプロの作曲家の介入も。勢いだけでプロ入りしたバンドは、いろいろなムードの曲が作れず、全体的なグレードも低くなっていくような気がします。
楽器が上手い人、歌の上手い人は大変多くなっているので、是非プロの作曲編曲家を利用してより良い作品を提供してほしいと思います。
(5)悪循環
ここで述べていることは、どうして “売れる曲≠名曲” なのか?ということでしたね。不十分な説明も多々ありましたが、(1)~(4)それぞれ単独の問題ではなく、絡み合って生じている現象です。仮に、何かが少し変わっても大きな勢いを止めることはできるはずがありません。日本にとどまらず、世界的規模かもしれませんし…
初めに念を押して言っておきます、すべての人のことを言っているのではありませんので誤解がないように。
この悪循環をわかりやかく究極に嫌な言い方をすると『特別良い商品でもないのに、自分にとってカリスマな人や大勢の人が良い品だと言うので購入した。そういう類のものが良いものとしての基準になっていく。』
将来は?
いよいよ、 “重い思い” の部分になります。
時代の流れの中で、黄金期の名曲が(特に名曲として一般化されていない名曲)が埋もれていくことへのジレンマがつのっています。実際私も、1970年代1980年代前半は後追いで聴きました。時代の真っ只中で聴いたのではありませんが、音楽に貪欲な時代だったのでまあまあ恵まれていると思います。なので、音楽好きな人には名曲の良さをわかっていただき、後世に残していってもらいたいのです。
それと、自分の耳で判断できるようにもなってもらいたいのです。すでに持ち合わせている人はいいのですが、いい曲が見つかったら、そのグループだけを追いかけるのではなく、クレジットを確認して幅を増やしていくことをおススメします。いい意味でミーハーになってほしいです。
ブログも立ちあげたばかりだし、無名の一般人で、超レアな楽曲を扱っています。検索結果で上位になることも見込めません。無謀なミッションだと思います。しかし、地道に愛情をこめて名曲を紹介すれば、少しは共感してくれる人かみつかるだろう、と信じています。
最近は、若い方が以前の音楽を聴く、ということを耳にしました。喜びもつかの間すぐに不安がのしかかりました。それは、同じことの繰り返しを危惧してのことです。と言うのは、ネット上で言うと『80年代おススメ洋楽』とか『平成の名曲』とかで検索しても、当時のヒット曲を羅列するだけのものが多いからです。そうやって一層塗り変えられていくと思うと怖いです。
個々の記事を書いていてもう一つ課題ができました。
それは、新世代の人を理解し大勢の人に読んで、聴いて、納得してもらえるようにすることです。敵を作らないようにしなければなりませんが、すでに過激なことを書いてしまったのでこれは手遅れです。
これが私の”重い思い”です。
このご縁は…
ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。不備な考察で反省しています。まだ10記事ぐらいしか投稿していない内に書いたので上手くまとめられませんでした。記事数を増やしていく中で私自身の新しい気づきもあるかもしれませんので、手直ししながら進めていこうと思います。
『このご縁はなかったことに…』ではなく
『このご縁からミッションに携わります』という声が聞きたいです。
名曲だと思える曲があったら、誰かに教えてあげてください。
それだけでいいです。